NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2023年12月25日 〜 12月28日放送
あらすじ
愛助が結核で入院する
空襲で避難する中、喀血した愛助が入院することになりました。愛助は結核でした。しかし感染の危険があるにもかかわらず、スズ子は献身的に愛助の看病をしました。
病床で愛助はスズ子に言いました。病気がよくなったら結婚して欲しいと。愛助の言葉をスズ子は受け入れました。
一方、スズ子の献身的な態度に心を動かされた坂口は三鷹に家を借りました。そして三鷹の家で、病身の愛助をスズ子に託すことにしました。
三鷹の家でのスズ子と愛助の暮らし
三鷹の家で愛助は少しづつ回復しました。そして、スズ子を舞台に復帰させるために、山下が楽団のマネージャーになることを母のトミに許してもらおうと考えました。
愛助は自ら大阪に出向きトミに直談判するつもりでした。しかし坂口はまだ体調が良くない愛助を制止。愛助に代わって坂口が大阪に出向きトミに一部始終を話しました。
愛助がスズ子の世話になっていることを聞かされたトミは、山下の件を承諾しました。しかし愛助とスズ子の交際は認めないと坂口に念を押しました。
スズ子が歌手活動を再開
スズ子の楽団のマネージャーに山下が就任し、スズ子たちは地方巡業を再開しました。スズ子は巡業から戻ると愛助の世話をする生活を始めました。
昭和20年(1945年)2月。普通の暮らしができるほどに回復した愛助と一緒に過ごす幸せな時間を、スズ子は日々かみしめていました。
しかし戦況はますます悪化。スズ子は日本各地に慰問に出かけながら、東京に戻ると愛助の無事を確認し胸をなでおろす日々を送るようになりました。
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今週の展開
61: 12/25(月) 愛助が結核と診断される
62: 12/26(火) 三鷹の家での新しい生活
63: 12/27(水) スズ子が地方巡業を再開
64: 12/28(木) 昭和20年8月富山高岡
予習レビューと史実のリアルエピソード
笠置シヅ子さんと吉本頴右さんの「同居生活」
実在人物・企業名 | 劇中人物・企業名 |
笠置シヅ子 | スズ子 |
吉本頴右(えいすけ) | 村山愛助 |
二人きりでない同居生活
笠置シヅ子さんと吉本頴右さんが名古屋で出会ってから一年半ほど経過した昭和19年(1944年)の暮れ。
二人は結ばれました。
その後、二人は市ヶ谷の吉本頴右さんの家で逢瀬を重ねるものの、空襲により市ヶ谷の吉本家は焼失。
三軒茶屋で笠置シヅ子さんが父と暮らしていた家も空襲で焼失しました。
三軒茶屋の家の焼失により、笠置シヅ子さんのお父上は生まれ故郷の愛媛県相生村(現、愛媛県東かがわ市)に帰ることになりました。
一方の吉本頴右さんは、空き家になっていた荻窪の叔父の家の隣家の母屋の2階に親戚たちと仮住まいすることになりました。
そして吉本頴右さんは、空襲で住む家を失った笠置シヅ子さんを荻窪に呼び寄せ、笠置シヅ子さんはその家の茶室で仮住まいをスタート。
吉本家の親戚の人々に囲まれながらの「同居生活」が始まりました。
吉本頴右さんの病気
実在人物・企業名 | 劇中人物・企業名 |
笠置シヅ子 | スズ子 |
吉本頴右(えいすけ) | 村山愛助 |
笠置シヅ子さんと吉本頴右さんが出会う以前のこと。
18歳の吉本頴右さんは肋膜炎を患い慶應大学病院に入院したことがあります。
その後も、潜伏のチフスが発見されたこともありました。
そのころより吉本頴右さんの胸は弱っていました。
吉本頴右さんの母親・せいさんもまた胸を患った経験があります。
せいさんは胸に持病を持ち、幾度となく危ない状態を経験したものの、それらを乗り越えていました。
なお、吉本頴右さんの肺の病(結核)は戦後になって悪化。
当時、不治の病と言われた結核によって24歳の若さで亡くなりました。
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ちなみに相生村も香川県です。旧大川郡にあったそうです。
「東かがわ市」というぐらいですから、愛媛県ではなく香川県(うどん県)の誤りです。
梅丸少女歌劇で活躍していた時に、実の父の家を訪ねたのも香川でしたよね?