2023/1/5(金)第14週「戦争とうた」
あらすじ
富山の高岡で、戦争で夫を亡くした静枝と出会ったスズ子は、静枝のためにも歌わねばならぬと決意を新たにしていました。そして迎えた公演の日。その日の朝、スズ子は女中の静枝に公演を見に来て欲しいと告げました。
一方、慰問で鹿児島を訪れていた茨田りつ子は、特攻隊員たちの希望に応えて『別れのブルース』を歌いました。特攻隊員たちは口々に感謝の言葉を述べ出撃。りつ子は耐えきれずに舞台裏に駆け込むとその場で泣き崩れてしまいました。
スズ子が最後の曲として選んだ『大空の弟』を歌い始めたころ、静枝が会場に姿をあらわしました。スズ子の歌を聴きながら静枝が懐から取り出したのは戦死した夫からの手紙でした。静枝はスズ子の歌声を聴きながら涙を流しました。
公演の日の夜、静枝は夫の思い出をスズ子に語りました。静枝から夫の思い出話を聞かされたスズ子は歌ってよかったと心の底から思いました。一方、戦況の悪化にともない、それ以降の公演の予定はすべて中止となりました。
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感想
茨田りつ子の涙
今回描かれた茨田りつ子が泣き崩れる場面。
この描写は淡谷のり子さんの実話がモチーフになっています。
そのとき、淡谷のり子さんはどのような様子だったのか。
淡谷のり子さんからその時の様子を聞いたという黒柳徹子さんの話が残っていました。
黒柳徹子さんの話を以下にまとめてみます。
ドラマの中でも描かれたとおり、淡谷のり子さんは慰問のために鹿児島の海軍基地を訪れました。
会場には大勢の兵隊が。
ところが会場の脇の方に、白鉢巻きをした20〜30人の子どもたちがいることに淡谷のり子さんは気がつきました。
淡谷のり子さんが係の人に「あの兵隊さんは?」と質問。
係の人は答えました。
「あれは特攻隊員です。飛行機ごと敵に突っ込んでいくので、もう二度と帰ってきません。平均年齢は16歳です。命令が来たら飛びます。もし、歌っている最中に命令が来たら出ていきますが、悪く思わないでください」
それは淡谷のり子さんが少年特攻隊員の姿を初めて目にした瞬間でした。
飛行機ごと敵に突っ込むので、もう二度と帰らない。
しかも、そんな特攻隊員の平均年齢は16歳。
まだ子どもにしか見えない特攻隊員たち。
せめて自分が歌っている間だけでも命令が下されないようにと願うものの、歌っている最中に特攻の命令が下されてしまいました。
そのときの様子とご自分の気持ちを淡谷のり子さんは次のような言葉で語っています。
「そのとき、少年はさっと立って、ニッコリ笑って、敬礼して出ていくんです。私は、次の歌が歌えなくなりました。悲しくて。自分がいちばんつらいのだから、さっと去ってしまえばいいのに。一人一人が、笑顔で敬礼していくなんて。あんなに悲しい思いをしたことはないです」
「白ハチマキの16歳ぐらいの少年特攻隊員が20~30人私の歌を聞いてくれたの。歌っている途中、私にニコニコ笑って礼をして、片道燃料で飛び立っていくの。私は歌の途中で涙がでて歌えなくなったの。なんて残酷なって。」
淡谷のり子さんは「ステージで涙を見せるのは恥」という信念を持っていました。
そんな淡谷のり子さんが、鹿児島の慰問では涙を止めることができなくなったと言います。
歌うことができなくなってしまった淡谷のり子さんは「すみません」というのが精一杯。
その一言をやっとのことで口にすると、客席にいる兵隊たちに背を向け泣き続けたのだとか。
ところで晩年の淡谷のり子さんといえば思い出すのは歌番組の審査員として放った辛口を極めたコメントの数々です。
ブログ主もその当時のことはよく覚えています。
あの当時の辛口コメントの理由についても淡谷のり子さんがこんな言葉を残しています。
「あのとき、笑って死んでいった特攻隊員がいかに無念だったか。笑顔の裏にある悔しさを知っているからこそ、必死にならない若い人たちを見て、私は怒るんです。誰のおかげでこうしていられるんだ、と」
以上が茨田りつ子の最初で最後の涙の背景です。
わずか2回の放送しかない第14週でしたが、いつまでも記憶に残りそうな茨田りつ子週になりました。
なお、淡谷のり子さんが終戦を迎えた地は、地方巡業で訪れていた山形県の月山の麓。
終戦を迎えたときの心境を淡谷のり子さんは次のように述べています。
「戦争というものの持つ狂騒音が、ぱったりと死に絶えて、新しい誕生を待つ夜明けの静けさのようであった」
そして終戦のわずか3日後には、山形県庁の役人がやってきて進駐軍向けのショーの依頼が来たのだとか。
その後は、進駐軍の将校クラブでブルース、ジャズ、シャンソン、タンゴなどを披露。
ちなみに淡谷のり子さんは米軍キャンプ歌手となった初めての歌手としても記録に残されています。
予習レビューと史実のリアルエピソード
ドラマは終戦の直前のタイミング。
羽鳥先生は上海に、スズ子ちゃんは富山に、そして茨田りつ子は鹿児島にいます。
三者三様の姿が描かれる中、ブログ主は茨田りつ子の姿にすべてを持って行かれるような気がしています。
そのころ、史実では茨田りつ子の実在モデル・淡谷のり子さんは何をしていたのか。
簡単にまとめてみました。
淡谷のり子さんは「ステージで涙を見せるのは歌手の恥」というストイックな考え方の持ち主でした。
そのストイックさはドラマの中でも再現されます。
さて、そんなストイックな考え方の持ち主の淡谷のり子さんは、鹿児島県・知覧の陸軍基地へ慰問活動に行きました。
知覧といえば特別特攻隊が出撃した地です。
淡谷のり子さんが知覧で慰問活動を行ったとき、20〜30人の少年たちがいました。
平均年齢16歳の彼らも特攻隊員でした。
会場を取り仕切る係の方が、慰問公演が始まる前に淡谷のり子さんに次のように言いました。
「もし歌ってる最中に(命令が)来たら飛びますけど、悪く思わないでください」
淡谷のり子さんは、命令が来ないでほしいと願っていたものの、歌の途中で命令が・・・
命令を受けた少年兵たちは、座席をサッと立ち上がると舞台の上のに淡谷のり子さんに向かって笑顔で敬礼して会場の外へ。
その姿を見たに淡谷のり子さんは、次の曲から歌えなくなるほど泣いてしまったのだとか。
「ステージで涙を見せるのは歌手の恥」というストイックな考え方の持ち主の淡谷のり子さんは、そのストイックな姿勢を守りきれなくなった瞬間。
ドラマの中ではどのように再現されるのでしょうか。
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素晴らしい回でした。
やはり、今の四五十代位の親も戦争経験してない御若い視聴者にも理解しやすい様に、それらの世代以降でも一般的には、特攻機イコール「ゼロ式」戦闘機のイメージしかないので、史実の慰問先「疾風」「隼」戦闘機中心の知覧特攻基地から、ゼロ式戦闘機の海軍鹿屋特攻基地に変更されたのかな?
知覧特公平和会館の「子犬と遊ぶ少年航空兵達」のスナップ写真の特攻兵達のあどけなさには驚かされた思い出がある。
現在公開中の映画「あの花が咲く丘で、君とまた出合えたら」も特攻隊を題材にした映画ですね、「舞いあがれ」の福原さんと「ブギウギ」の水上さん二人の悲恋が描かれています、個人的には良作
映画で隊員行きつけの食堂の女将さんを松坂慶子さんが演じていますが、まず特攻隊のお母さんと言われた鳥濱トメさんがモデルで間違いないでしょね、ホタルの食堂のエピソードが有名ですね
個人的には朝ドラで見たい方と言われたら鳥濱トメさんの名前を上げます
淡谷さんが軍歌を拒否なされていたのは史実ですが、どうしても歌わざるえない場合に歌ったのが「暁に祈る」だったとのことらしいです(Xからの呟きだけを参照でエビデンスはないのですが)
原爆投下。「別れのブルース」最後に聞く本人の生歌。これから死に行く若者たちにとって検閲など何の意味もない。彼らが死出の旅に旅立つ前に終戦になって欲しい。「大空の弟」思いっ切りストレートな歌詞だったな。静枝さんの涙。金沢には行けない。偶然にも被災地付近。なんかいたたまれない。
上にいる人はわからない。現地にいる人が本当に聞きたいのは
戦意高揚の歌なんかじゃなく、平時に聞いている歌なんだと。
この時期、全国に「大空の弟」が存在した。そして、これから
「大空の弟」になろうとする若者にりつ子は涙ぐんだ。