ブギウギ

巡業先で玉音放送を聞く / ブギウギ 第67回

2024/1/8(月)第15週「ワテらはもう自由や」

あらすじ

昭和20年(1945年)8月15日。スズ子は巡業先の富山で玉音放送を聞きました。その日、茨田りつ子は慰問先の鹿児島で敗戦の事実を知りました。一方、上海で終戦を迎えた羽鳥善一は、無事に帰国できるかどうかわからない状況に置かれていました。

終戦によって予定していた公演がすべて中止となったスズ子と楽団の面々は、混雑する汽車に乗って東京に戻ることにしました。スズ子は静枝たちに別れを告げ富山を去るものの、スズ子は愛助の病状が心配でした。

スズ子たちは東京にたどり着くと楽団の面々と活動の再開を約束。そしてスズ子は自宅に戻ると無事に愛助と再会することができました。しかし、梅吉や大阪の人々の安否がわからないままであることがスズ子は不安でした。

戦争は終わったものの食料の調達ができないことがスズ子たちの悩みでした。そんな中、愛助はジャガイモの栽培を始めました。一方、上海の羽鳥は、家に乗り込んできた何者かにより連行されてしまうのでした。

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感想

ようやく戦争が終わり以前よりは平穏な日々が戻ってくるものの、食料が手に入らないなどの不自由を強いられるスズ子ちゃん。

しかしスズ子ちゃんの表情を見る限り、スズ子ちゃんは平和を取り戻した様子。

一方の茨田りつ子と羽鳥先生は、まだ戦争が終わっていません。

茨田りつ子

今週の後半で、スズ子ちゃんは歌手活動を再開するはずです。

そして戦後の歌手活動を再開する初めての公演では茨田りつ子も出演するのだとか。

しかしそのとき、茨田りつ子は心に深い傷を負っているらしい。

今回、玉音放送も聞かず、終戦の知らせを受けてもさほどの反応を示さない茨田りつ子の様子は、心に深い傷を負った描写なのでしょうか。

心に深い傷を負った理由は間違いなく散っていった少年兵のことでしょう。

平時であれば未来に夢と希望しかないような年代の子たちが、一人また一人と出撃する現場を見てしまった茨田りつ子の心境は察するにあまりあります。

まして、出撃命令があと数日遅れれば、終戦を迎え死なずに済んだはず。

茨田りつ子はいつも決して弱い面を人に見せないキャラですが、あれはきっと繊細さを隠すためのものかと。

そんな繊細な心が深く傷ついてしまった茨田りつ子。

歌手活動を再開するまでに苦悩の日々も、これからドラマの中で描かれるのかな?

前週から今週にかけて、ブログ主の中では茨田りつ子が主人公になってしまっています。

羽鳥先生

ブログ主の中では、茨田りつ子と並んで今週からは羽鳥先生も主人公になってしまいそう。

無事に帰国できるかどうか定かではない羽鳥先生。

帰国できないまま死を迎えることも覚悟しているのかもしれません。

中国人作曲家の黎さんは、羽鳥先生が日本に帰国できること、日本で再び作曲活動ができることを信じていましたが・・・

そして羽鳥先生が案じていた事態が発生。

羽鳥先生が現地の警察(?)に連行されてしまいました。

こんなエグい描写が登場するとは想定外でした。

以下、ネタバレが含まれます。

羽鳥先生は最終的に帰国できます。

帰国できるまで困難な状況が続くことも予想されますが。

今週の後半、スズ子ちゃんが歌手活動を再開する最初の公演に羽鳥先生もやって来るのだそうです。

それがわかっているのが今の段階での救いです。

梅吉さんや大阪の人々

今回、巡業地の富山から東京に戻ってきたスズ子ちゃんが言いました。

梅吉さんやUSKの人々が心配だと。

東京編になり、さらに戦争が始まってから、すっかり出番が少なくなってしまった梅吉さんUSKの人々。

無事なのかな?

史実では梅吉さんの実在モデルは、戦後になって香川に笠置シヅ子さんを呼び寄せて公演を実現しています。

そんな場面がドラマの中でも再現されるかもしれません。

一方、USKの人々はどうしているのでしょうか。

大阪のはな湯関連の人々の安否もまったく不明。

坂口さんによれば終戦が告げられた前日にも大阪では空襲があったとのことです。

スズ子ちゃんのかつての下宿先のご夫婦の安否もわからないまま。

スズ子ちゃんは平和を取り戻した様子だと述べましたが、スズ子ちゃんの周囲の人々のことを考えると、スズ子ちゃんもまだまだ戦争は終わっていません。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

終戦の日を迎えました。

この日を笠置シヅ子さんは、どのような状況で、どのような気持ちで迎えたのかは記録に残されています。

昭和21年(1946年)9月に刊行された雑誌『軽音楽』創刊号の特集「軽音楽人と八月十五日」にその記録が掲載されています。

その特集では編集部が2つの質問への回答を軽音楽人たちに求め、回答が戻ってきたものを掲載。

2つの質問とは、

1:あなたは去年の八月十五日、何処においででしたか?
2:終戦とわかったときの御感想をお洩らし下さい。
引用:『軽音楽』創刊号

の2点。

この質問に対して笠置シヅ子さんは

1:富山県高岡市の東宝劇場で、長谷川一夫一座と一緒に実演中。
2:咄嗟に「今誰かがヂャズを歌へ、と云ったら私は死にますツ」と叫んで皆に笑はれましたが、今考えても一寸不思議な心境でした。
引用:『軽音楽』創刊号

同誌の特集には服部良一氏も回答を寄せています。

1:上海のメド・ハアスト。
2:新聞記者を自室に集め、とっておきのジョニーウォーカーの黒をあけて、唯黙々と飲んで居ました。
引用:『軽音楽』創刊号

この特集では他に、渡辺はま子さん、並木路子さんなども回答を寄せています。

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POSTED COMMENT

  1. 丹善人 より:

    「羽鳥先生は無事に帰国できます」
    そりゃそうでしょ。でないと、ブギウギが作れない。

  2. ずんこ より:

    傷心のりつ子さん。
    「歌うことは生きること」と言っていた彼女の歌が、死に向かう少年たちの背中を押してしまった。
    その辛さは、自分が作った多くの軍歌が若者たちを戦場に駆り立ててしまった『エール』の裕一くんの苦悩に似ているのかもしれない。
    それと同時に、今日玉音放送するなら散っていった少年たちの犠牲は何だったのか、という思いもあるのではと思いました。

    一方、スズ子ちゃんの歌で、静枝さんは夫の死と向き合い、ちゃんと悲しむことが出来ました。
    静枝さんはこれで、前に進めるでしょう。

    対照的な、2人の姿でした。

    上海で敗戦を迎えた羽鳥先生、「これで自由に音楽が作れる」と喜ぶかと思いきや、そんな単純なものではありませんでしたね。
    銃を突きつけられて、どうなるのでしょう。

  3. 還暦のたつお より:

    玉音放送、一時の静寂、あっ旅館の女将、高橋かおりさんだった。汽車内の置き引き。早くも治安の乱れが。やっとの思いで帰京。愛助さん、坂口さん無事でなにより。でも食料は無い。上海では、精神的に混乱した羽鳥先生を、拳銃(ブローニングM1910かコルトM1903)を手にした中国の官憲らしき数名が拘束しに現れた。羽鳥先生この窮地どう脱する。

  4. ひまじん より:

    富山だから「藤子屋」だったのですね、御親切にも看板映した説明カットが二回も・・・。

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