あんぱん

嵩が舞台美術を手がける / あんぱん 第99回

2025/8/14(木)第20週「見上げてごらん夜の星を」

あらすじ

たくやと栄輔に勢いに圧倒された嵩は、二人の頼みであるミュージカルの舞台美術を引き受けることにしました。

さっそく絵コンテを仕上げた嵩は、改めて求めているイメージを栄輔に質問

すると栄輔は、イメージは嵩にすべて任せると答えました。

嵩は不慣れな仕事に愚痴をこぼしながらも、黙々と絵コンテを描き続けました。

そんな嵩の姿を見て、のぶは楽しそうだと言ってそっと寄り添いました。

数日が経過し、舞台の本番初日の前日。

通し稽古を終えた後、栄輔は最後の最後まで細かい修正を加え、たくやたち他のメンバーを困惑させました。

そんな面々の仕事ぶりに嵩は圧倒されました。

参考:地デジ番組表

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

いせたくやと六原永輔

数週前から登場しはじめていた作曲家・いせたくやが今週はいよいよドラマの真ん中近くに入ってきます。

いせたくやはミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の音楽を手掛けていました。

このミュージカルの中心人物は新進気鋭の演出家・六原永輔。

六原永輔は自身が演出する『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を嵩くんに依頼しようと考える。

そこで嵩くんとつながりがあるいせたくやに嵩くんを紹介してもらう。

そんな形で、六原永輔は嵩くんに舞台美術を依頼。

また、六原永輔を嵩くんに紹介したいせたくやもまた、ミュージカルの仕事が終わってから作詞を嵩くんに依頼。

これまで嵩くんの活動圏外にいたいせたくやが、今週から嵩くんの活動圏内に入ってきます。

ところで、作曲家のいせたくやと演出家の六原永輔には実在モデルがいます。

作曲家・いせたくやの実在モデルはいずみたくさん。

演出家・六原永輔の実在モデルは永六輔さん。

二人の実在モデルそれぞれの略歴について、以下にまとめました。

【史実】いせたくやの実在モデル:いずみたくさん

昭和5年(1930年)東京府東京市下谷区(現:東京都台東区)で生まれる。

本名は今泉隆雄。

昭和20年(1945年)仙台陸軍幼年学校に在学中、終戦を迎える。

昭和21年(1946年)東京府立第五中学校を卒業。

同年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。

昭和25年(1950年)に舞台芸術学院演劇学科を卒業。

昭和30年(1955年)朝日放送ホームソングコンクール・グランプリ受賞。

昭和35年(1960年)永六輔とミュージカル『見上げてごらん夜の星を』を制作。

その際にやなせたかし氏を紹介される。

昭和36年(1961年)やなせたかしさん作詞の『手のひらを太陽に』を作曲。

昭和37年(1962年)『手のひらを太陽に』がNHK『みんなのうた』で放送され大ヒット。

「作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく」という運命的コンビが誕生する。

【史実】六原永輔の実在モデル:永六輔さん

昭和8年(1933年)最尊寺の住職・永忠順の次男として東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)で生まれる。

本名は永孝雄。

早稲田高等学校に在学中より、NHKのラジオ番組『日曜娯楽版』にネタの投稿を開始。

この経験が放送作家の原点となる。

昭和27年(1952年)早稲田大学第二文学部に入学。

同年、コントを制作する芸術団体「トリロー文芸部」にスカウトされ早稲田大学第二文学部を中退。

「トリロー文芸部」に所属した際、ペンネームとして「永六輔」を名乗り始める。

昭和28年(1953年)テレビ放送が開始され「トリロー文芸部」に大量の仕事が舞い込む。

同年、民放ラジオ制作会社「冗談工房」を設立し社長に就任するも、ほどなくして経営は破綻する。

昭和31年(1956年)酒井昌子と結婚。

昭和35年(1960年)ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』大阪労音で初演。

同ミュージカルの挿入歌『見上げてごらん夜の星を』が大ヒット。

「作詞:永六輔、作曲:いずみたく」という運命的コンビが誕生する。

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