虎に翼

虎に翼 第3週「女は三界に家なし?」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『虎に翼』
2024年4月15日 〜 4月19日放送

あらすじ

「明律大学女子部法科」存続の危機

「明律大学女子部法科」の存続が危ぶまれる事態におちいりました。寅子たち2期生は20人に減り、1期生は久保田と中山だけになってしまったのです。

そんな中「名律祭」で、女子部の2年と3年の合同による法廷劇の上演が決定。寅子たちは、その条件が女子部のいい宣伝になると考えました。

よねが負傷

そして迎えた法廷劇の上演日。男子学生・小橋らの妨害によって法廷劇は中止になり、騒動の中でよねがケガをしてしまいました。

その翌日、よねは学校に来たもののケガの激痛で一人では歩けなくなり、寅子たちに抱えられながら帰宅しました。

よねは上野のカフェ「燈台」の二階を間借りし、授業が終わった後は「燈台」で働く苦学生であることを寅子たちは知りました。

よねの過去

よねは身の上を寅子たちに打ち明けました。実家は貧しい農家で姉は15で売りに出され女郎になったこと。自分も売りに出されるところを逃げ出してきたことを。

よねの姉はその後も置き屋に騙されたことなどを話し、寅子たちはよねが男性に対して恨みに近い感情を持っている理由を理解しました。

それから一年半が経過し昭和10年(1935年)春。寅子たちは無事に女子部を卒業し、名律大学法学部に進学することになりました。

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今週の展開

11: 4/15(月)
12: 4/16(火)
13: 4/17(水)
14: 4/18(木)
15: 4/19(金)

予習レビューと史実のリアルエピソード

「明律大学」の名称の由来

ドラマの中に登場する「明律大学」の実在モデルは明治大学です。

では「明律」という名称は何に由来しているのか?

これはブログ主の推測ですが明治大学の前身にあたる校名が「明治法律学校」。

「明治法律学校」の「明」と「律」から「明律」と名付けられたと思われます。

以下に「明治法律学校」の歴史をまとめました。

「明治法律学校」

「明治法律学校」は明治14年(1881年)に開校。

東京大学法学部仏法科の前身・司法省法学校の第一期卒業生たちが「近代市民社会を担う聡明な若者を育成する」ことを目的に創設しました。

開校当初、有楽町数寄屋橋内の旧島原藩上屋敷「三楽舎」を校舎として借用してスタート。

その後、明治19年(1886年)に駿河台に校舎を構え現在に至ります。

五大法律学校

「明治法律学校」は五大法律学校の一つにかぞえられています。

五大法律学校とは、明治時代に東京府で創立された私立の法律学校のうち、特別許認可を受けた5校の総称です。

五大法律学校は次のとおりです。

専修学校(現:専修大学)
明治法律学校(現:明治大学)
東京法学校(現:法政大学)
東京専門学校(現:早稲田大学)
英吉利法律学校(現:中央大学)

「明治法律学校」から「明治大学」へ

明治36年(1903年)「明治大学」への改称が認可され、岸本辰雄が初代校長に就任。

しかし、改称当時の明治大学は制度上の大学(旧制大学)ではなく、旧制専門学校でした。

また、新たに設置された文学部は入学者が少なかったため、明治41年(1908年)に学生募集の停止を余儀なくされています。

ドラマの中で描かれる「明律大学女子部法科」存続の危機に近い出来事は、文学部で実際に起こっていました。

サブタイトル「女は三界に家なし?」

今週のサブタイトル「女は三界に家なし」。

「三界」は仏教用語で全世界をあらわす言葉。

女は

・幼少のときは親に従う
・嫁に行っては夫に従う
・老いては子に従う

ことになるため、安住できる家がどこにもないという意味。

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