NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年7月28日 〜 8月1日放送
あらすじ
のぶが高知に戻って来る
のぶと嵩が、ついにお互いの気持ちを確かめ合いました。
その三ヶ月後、鉄子の選挙運動の手伝いのためにのぶが高知に戻って来ました。
そして鉄子は無事に再選を果たすことができました。
嵩が高知新報を退職し上京
鉄子の再選が決まってからしばらく経ったある日、嵩は高知新報を退職。
高知新報を辞めた嵩は、のぶの後を追って上京しました。
嵩が上京する際、嵩はその旨を手紙で登美子に知らせました。
登美子に就職を勧められる嵩
上京した嵩は、東京で登美子と再会しました。
登美子は嵩に対して、就職してのぶを安心させるのが男の務めだと告げました。
そして登美子は、三星百貨店の採用試験を受けるよう嵩に勧めました。
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今週の展開
86: 7/28(月)
87: 7/29(火)
88: 7/30(水)
89: 7/31(木)
90: 8/1(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
リアル嵩くんも東京へ
昭和22年(1947年)6月、リアル嵩くんは上京しました。
東京での最初の仕事は、美術学校を卒業後に就職した製薬会社の同僚が始めたデザイン会社の手伝いでした。
仕事は見つかったものの、当時の東京は住宅難で住む家を見つけられませんでした。
そこで一足先に上京していたリアルのぶちゃんと一緒に暮らすことになりました。
その当時、リアルのぶちゃんは友人夫婦の家で間借りをしていました。
友人夫婦には男の子がいて、その男の子の面倒を見ることを条件に、その男の子の子供部屋に男の子のベッドの横にもう一つベッドを置いて、無料で住まわせてもらっていました。
リアル嵩くんが住むことになったのは、この子供部屋です。
その部屋にはその家の男の子もいます。
二人きりの新生活というわけではありませんでしたが、リアル嵩くんは東京では野宿生活も覚悟していたとのこと。
実際に野宿に備えて飯盒を用意していました。
野宿を免れた上にリアルのぶちゃんと一緒に暮らせるようになったリアル嵩くん。
どれほど幸せを感じていたのでしょうか。
リアル嵩くんが三越に入社
リアル嵩くんが上京した昭和22年(1947年)、三越では戦後初の日本広告展が開催。
リアル嵩くんは、自分の作品を日本広告展に応募し、3点が入選しました。
当時、三越は宣伝部員を募集していました。
終戦直後、三越の店舗は品揃えも貧弱で、闇市の方が品揃えが豊富だったのだとか。
それでも日を経るほどに賑わいを取り戻し、宣伝部の開設が決定。
宣伝部の開設にともない宣伝部員の募集が開始され、リアル嵩くんは入社試験に挑戦することにしました。
しかし、態度が不遜であるという理由で不合格。
ところが、役員の一人があいつは見どころがあるから採用しろ、責任は自分が取るとリアル嵩くんを激推し。
この役員の推しもありリアル嵩くんは三越に晴れて採用。
昭和22年(1947年)10月から、三越宣伝部で働くことになりました。
ところでリアル嵩くんを推した役員は井上慶吉という名の人物。
井上氏は高知出身で、自費で同人誌『南風』を出版していました。
三越入社後、リアル嵩くんは井上氏の同人誌でも表紙のイラストを手がけたり、エッセイを寄稿するようになりました。
三越でのリアル嵩くんの仕事
三越宣伝部の仕事でリアル嵩くんが最もお気に入りだった仕事は芝居のポスター制作でした。
三越には劇場があり、いくつかの劇団が公演を行っていました。
それら劇団の一つである文学座がポスター制作を三越側に依頼し、この仕事をリアル嵩くんが手掛けることになったわけです。
またその頃、三越では包装紙をリニューアルすることになりました。
三越が包装紙のデザインを委託したのは、洋画会の人気画家・猪熊弦一郎氏でした。
デザインの締め切りの日にリアル嵩くんは猪熊邸を訪問。
仕上がったデザインとして渡されたのは、白い紙の上にカットした赤い紙をテープで仮留めしただけの簡素なものでした。
さらに猪熊氏は、ロゴは指定の場所に書き入れるようリアル嵩くんに指示。
この包装紙は今も三越で使われており「MITSUKOSHI」というアルファベットのロゴはリアル嵩くんの仕事です。
ところで、三越の役員たちはこの簡素なデザインをリアル嵩くんの仕事だと勘違い。
こんなデザインではダメだと猛反発が起こったそうです。
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