2025/4/1(水)第1週「翼と刀」

あらすじ

虎太郎の母・栄がコレラに感染。虎太郎は感染を恐れた村人たちから疎外されてしまいました。りんは虎太郎を励まそうとするものの、気持ちをうまく伝えることができません。落ち込むりんに、信右衛門は自分の過去の経験を語って聞かせました。

その頃、美津と安は縁談を進めるため上京。信右衛門の弟、信勝のもとを訪ねていました。安は信勝に頭を下げ縁談を進めて欲しいと頼みました。一方の美津は、母の形見の着物を信勝に買い取ってもらいました。

同じ頃、東京の教会では牧師の吉江が直美を呼び出していました。吉江は直美にこの教会の伝道者にならないかと声をかけました。しかし直美は伝道者になるつもりはない。自分は伝道者には向かないと答えました。

栃木ではその後もりんが虎太郎を心配し続けていました。そしてりんは食事を虎太郎の家に届け、虎太郎の力になろうとしました。そんな中、りんに薙刀の稽古を付けている最中に、信右衛門が激しく咳き込んで倒れてしまいました。

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感想

アバンタイトル

前回は、コレラそのものよりもコレラで村祭りが開かれるかどうか心配する安ちゃんの描写によって、コレラはまだ遠い存在であることが示されていました。

しかし今回はコレラがそこまで迫っていることが冒頭から描かれました。

虎太郎くんのお母上が担ぎ込まれた避病院に足を運ぼうとするりんちゃん。

ところが誰もがあそこには行かない方がいいと止めてくる。

前回では大勢の人で賑わっていた通りは、今回はほとんど人通りがない。

そんな状況から第3回がスタートしました。

一方、村がそんな状況になっていることを知る由もない美津さんと安ちゃん。

二人が足を運んだのは信右衛門さんの弟の信勝さん。

実はブログ主は、この信勝さんが朝ドラで繰り返し描かれてきた「ヒロインの変なおじさん」を期待していたのですが、残念ながらまともな人らしい。

商いも上手くいっている様子なので、普通に頼れる存在として描かれるのかもです。

そんな信勝さんに縁談を進めて欲しいと安ちゃんが頭を下げて頼みました。

一方の美津さんは、安ちゃんを退席させると着物を買い取ってもらう交渉を開始。

一ノ瀬家、信右衛門さんの農業だけでは家計が苦しいのでしょうか。

以上、情報量がとても多いアバンタイトルを経て第3回が始まりました。

信右衛門さん

前作の司之介さんとは異なり信右衛門さんは武士をやめても立ち尽くしたりしない。

そんな意味のことを前回のレビュー欄で書きましたが、実は信右衛門さんも心の中では時間が止まってしまいっているようです。

信右衛門さんが仕えていた藩は新政府側についたので戦火は免れることができた。

しかしその一方で、幕府に反旗を翻した藩主は自決したらしい。

その過去の記憶が信右衛門さんの心の中にいつまでもトゲのように刺さっているみたいです。

このトゲのせいで、信右衛門さんは県庁での仕事も断り続けているのでしょう。

農作業に没頭するのもトゲの痛みを忘れるためなのかもしれません。

信右衛門さん、心の闇はもしかすると司之介さんよりはるかに深いかもです。

信右衛門さんの心の闇は救われるのか?

そう思った矢先に信右衛門さんが激しく咳き込んで倒れてしまいました。

直美ちゃん

本作の番宣でも登場した直美ちゃんと吉江さんの教会での場面が登場。

この教会の伝道者にならないかと吉江さん。

ところが直美ちゃんは自分は伝道者には向かないと言ってキッパリ断りました。

泣き出す吉江さん。

直美ちゃんをここまで育ててきたのは吉江さんです。

吉江さん、自分の育て方に何か問題があったのかと思い泣き出してしまったのかな?

それとも自分が嫌いだとまで言う直美ちゃんの屈折した心に涙したのでしょうか。

吉江さんみたいな優しい人に育てられながら、心が深く屈折したままの直美ちゃん。

心の中の闇が深すぎるヒロインのようです。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

今週、りんちゃんのお父上・信右衛門さんがコロナに感染し亡くなります。

そこで今回の予習レビューでは明治時代に日本で大流行を繰り返したコロナの情報をまとめました。

明治時代を襲ったコレラの大流行

日本では1822年(文政5年)に初めて流行が確認され、その後も明治時代を通じて数年おきに大流行を繰り返しました。

明治45年間の死者は全国で約37万人に上ったとされています。

コレラはコレラ菌に汚染された飲食物を口にすることで感染し、発症すると激しい下痢や嘔吐を引き起こし、急速に脱水が進む危険な病気です。

当時は「コロリ」とも呼ばれ、「虎列刺」や「虎狼狸」といった字が当てられるほど、突然命を奪う恐ろしい病として知られていました。

コロナは明治時代に数年おきに大流行しました。

その中でも特に大きな流行が起こったのが1877年(明治10年)です。

この年、横浜や長崎に入港した外国軍艦からコレラ患者が発生しました。

ちょうど同年9月24日に西南戦争が終結し、動員されていた兵士たちが各地へ帰還したことで、コレラ菌は一気に全国へ広がりました。

この流行では1万3816人が発症し、そのうち8027人が死亡し、死亡率は約60%にも達しました。

その後も流行は続き、1879年(明治12年)、そして1886年(明治19年)にはさらに大規模な流行が発生します。

特に1886年(明治19年)の流行は最大級とされ、感染者は15万5923人、死者は10万8405人に達し、死亡率は約70%という非常に高いものでした。

発症すると全身に痙攣が起こり、短時間で死に至ることも多く、人々は日常生活の中で常に恐怖と隣り合わせにありました。

当時の対策は限られており、患者の早期発見と隔離、あるいは「石炭酸」と呼ばれる消毒薬の散布などが主な方法でした。

また国は、飲食物に注意すること、家の中を清潔に保つこと、多人数で集まらないことなどを予防策として示していました。

しかし現在のような医療体制や衛生環境が整っていなかったため、感染拡大を防ぐことは容易ではありませんでした。

こうした度重なる流行を通じて、日本では感染症に対する意識や衛生対策の重要性が次第に認識されていきました。

コレラの大流行は、多くの命を奪った悲劇であると同時に、近代日本における公衆衛生の発展を促す大きな契機ともなったのです。

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