虎太郎を励ましたいりん / 風、薫る 3回
2025/4/1(水)第1週「翼と刀」
あらすじ
美津と安が縁談を進めるために上京している間に、虎太郎の母・栄がコレラに感染。
虎太郎は感染を恐れた村人たちから疎外されてしまいました。
そんな虎太郎をりんは励まそうとするものの、気持ちをうまく伝えることができません。
落ち込んでしまうりんに、信右衛門は自分の過去の経験を語って聞かせました。
同じころ、東京の教会では牧師の吉江が直美を呼び出していました。
参考:地上波番組表
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週、りんちゃんのお父上・信右衛門さんがコロナに感染し亡くなります。
そこで今回の予習レビューでは明治時代に日本で大流行を繰り返したコロナの情報をまとめました。
明治時代を襲ったコレラの大流行
日本では1822年(文政5年)に初めて流行が確認され、その後も明治時代を通じて数年おきに大流行を繰り返しました。
明治45年間の死者は全国で約37万人に上ったとされています。
コレラはコレラ菌に汚染された飲食物を口にすることで感染し、発症すると激しい下痢や嘔吐を引き起こし、急速に脱水が進む危険な病気です。
当時は「コロリ」とも呼ばれ、「虎列刺」や「虎狼狸」といった字が当てられるほど、突然命を奪う恐ろしい病として知られていました。
コロナは明治時代に数年おきに大流行しました。
その中でも特に大きな流行が起こったのが1877年(明治10年)です。
この年、横浜や長崎に入港した外国軍艦からコレラ患者が発生しました。
ちょうど同年9月24日に西南戦争が終結し、動員されていた兵士たちが各地へ帰還したことで、コレラ菌は一気に全国へ広がりました。
この流行では1万3816人が発症し、そのうち8027人が死亡し、死亡率は約60%にも達しました。
その後も流行は続き、1879年(明治12年)、そして1886年(明治19年)にはさらに大規模な流行が発生します。
特に1886年(明治19年)の流行は最大級とされ、感染者は15万5923人、死者は10万8405人に達し、死亡率は約70%という非常に高いものでした。
発症すると全身に痙攣が起こり、短時間で死に至ることも多く、人々は日常生活の中で常に恐怖と隣り合わせにありました。
当時の対策は限られており、患者の早期発見と隔離、あるいは「石炭酸」と呼ばれる消毒薬の散布などが主な方法でした。
また国は、飲食物に注意すること、家の中を清潔に保つこと、多人数で集まらないことなどを予防策として示していました。
しかし現在のような医療体制や衛生環境が整っていなかったため、感染拡大を防ぐことは容易ではありませんでした。
こうした度重なる流行を通じて、日本では感染症に対する意識や衛生対策の重要性が次第に認識されていきました。
コレラの大流行は、多くの命を奪った悲劇であると同時に、近代日本における公衆衛生の発展を促す大きな契機ともなったのです。
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