本放送:2011年11月30日(月)
再放送:2014年6月2日(月)
再々放送:2024年11月18日(月)
第9週「いつも想う」
花言葉の花「母子草」
あらすじ
昭和12年(1937年)、赤紙が来た勘助のために糸子や善作が壮行会を開きました。日露戦争から生還した善作の話しを聞かされ少しだけ安心した勘助ですが、糸子は心の底から勘助の出征を祝う気にはなれません。
勘助を送り出してから二ヶ月ほどして、勘助から葉書が届いたものの文面の一部が墨で塗りつぶされています。人の手紙を勝手に塗りつぶすことに腹を立てる糸子は「ほんま、あの墨許せん」と不快感をあらわにします。
昭和14年(1939年)、物資が不足する中、綿製品にも規制がかかり糸の町・大阪の経済は打撃を受けるものの、オハラ洋装店は洋服をつくる客が絶えず空前の大繁盛。糸子も二番目の子供を妊娠していました。
しかし、仕事中に立ちくらみを起こした糸子の身体を案じた善作とハルは、糸子を強制的に神戸の松坂家に預けることに。商売が心配で神戸行きを拒む糸子。しかし、善作とハルは糸子に耳を貸さず、ついに糸子は迎えの車で神戸に旅立つのでした。
感想
先週第6週の最後に勘助に赤紙。そして今週第7週はのっけから勘助の壮行会。善作お父ちゃんが日露の戦役に出ていたことも判明。商店街の人々の何人かも日露の戦役に出征したみたいですが、勝ち戦から生還しただけに明るい。
勘助のお父ちゃんは戦場で戦死でなく病死。その経験からあるあら勘助のお母ちゃんは不安を隠せない。善作お父ちゃんの楽観的な話しで勘助は無事に帰って来れるような気がしてくるも、それでも気が晴れない勘助のお母ちゃん。
長男と比べて嫁の来てもなさそうで、何かと手がかかってきただけに母親としても勘助は心配でしょう。要領も悪そうだから戦場でしっかりやってゆけるのか、病気になったりしないのか・・・
勘助が出征して二ヶ月。届いた手紙は墨塗り、この暴挙にその日一日憤りを抑えられない糸子。第6週で糸子の意思がないまま物事が動いてしまっただけに、怒る糸子を見て久々に糸子らしい糸子を見たような気がしました。
この墨塗り以降、国家総動員法が施行され贅沢は忌避され節約奨励、綿製品に規制がかかりはじめるなど不自由な時代に突入してゆきますが、墨塗りの葉書だけであれほど憤る糸子、これからの時代をどんな風に乗り切ってゆくのか。
とはいえ、まだ大阪のご婦人たちは洋服づくりに夢中。オハラ洋装店も雇い人をたくさん抱えて大繁盛。しかも第二子を妊娠。
立ちくらみを起こしたのがちょっと心配ですが、お店の使用人の一人が立ちくらみを起こした糸子を見て、勝さんを「大将!」と呼んだのが新鮮でした。糸子の持ち場とは違う仕事をしてるので顔をあまり出しませんが「大将」だったんですね。