ブギウギ

スズ子が地方巡業を再開 / ブギウギ 第63回

2023/12/27(水)第13週「今がいっちゃん幸せや」

あらすじ

村山興行の元社員である山下が楽団のマネージャーになることをトミが許可しました。ほどなくして、スズ子は地方巡業を再開。スズ子は地方巡業を終えるとすぐに東京に戻り愛助の世話をする、そんな繰り返しの日々を送っていました。

同じころ、上海に渡った羽鳥は、軍から合同音楽会を開くように命令を受けていました。音楽会の内容はすべて羽鳥が任されることになりました。音楽会の目的は軍の威信を見せつけることでしたが、羽鳥はその機会を利用するつもりでいました。

愛助は順調に回復しました。その一方で、空襲が激しくなる東京に愛助を残したまま地方巡業に出ることがスズ子は心配でした。そんな中、スズ子が恐れていたことが起こりました。京都で巡業中に、東京が大規模な空襲に見舞われたという知らせが入って来たのです。

山下は公演の延期を提案するもののスズ子は公演を行うことを決意しました。そして京都での公演をやり切り、東京に戻ったスズ子が目にしたのは、焼け野原となり変わり果てた東京の光景でした。

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感想

再開した地方巡業。

愛助くんの回復。

そして空襲。

しかしブログ主の心を奪ったのは、羽鳥先生の姿でした。

羽鳥先生の振り返り

上海行きが決まったとき、そして上海に渡ってから。

羽鳥先生が再び音楽を愛する環境を手に入れることができたことが、羽鳥先生が大好きなブログ主としては何よりも嬉しい。

年明けすぐの放送でドラマは終戦を迎えます。

羽鳥先生もようやく日本で自由に音楽活動をできるようになるはずです。

羽鳥先生の復活を目前にしたこのタイミングで、ブログ主が大好きな羽鳥先生のこれまでのを振り返ってみようと思います。

羽鳥先生が最初に登場したのは第1回。

戦後のステージを指揮する羽鳥先生が登場したこの場面はおそらく来年2月頃に登場するかと思います。

次に羽鳥先生が登場したのが第4週の19回。

ドラマを時系列に並べた場合、19回が羽鳥先生の初登場でした。

羽鳥先生が初めて登場したのは昭和9年。

大和礼子と橘アオイが「梅丸少女歌劇団」を去り、スズ子ちゃんなどの次世代が活躍するようになったころのこと。

そのころの羽鳥先生は、作曲家になる夢を抱いて東京に向かう青年という設定でした。

今では羽鳥先生は、スズ子ちゃんの音楽の師匠のような存在になっていますが、振り返ってみるとプロデビューはスズ子ちゃんの方が一足早かったんですね。

羽鳥先生が東京に向かっている頃はまた、スズ子ちゃんの香川に来てほしいと、実の祖父から呼び出しがかかったころでもありました。

それから4年が経過した昭和13年。

スズ子ちゃんは東京に移籍することが決まりました。

スズ子ちゃんの才能に目をつけて東京に楽団にスカウトしたのは演出家の松永さん。

そして松永さんが見つけた逸材ということで、羽鳥先生はスズ子ちゃんの歌声を聴く日を心待ちにしていました。

まだ見ぬスズ子ちゃんに期待する羽鳥先生が描かれたのが第6週の26回。

そのころの羽鳥先生は自分が書いた曲を自分のイメージ通りに歌ってくれる歌手を探し続けていました。

そんな理想の歌手が見つからなければ自分の音楽は完成しない。

当時の羽鳥先生はそのくらいに考えていました。

だから、全幅の信頼を置く演出家の松永さんが見つけた才能にどれほど期待したことか。

スズ子ちゃんに期待する羽鳥先生が描かれた回の次の回、第6週の27回で羽鳥先生はついにスズ子ちゃんと出会うことに。

初対面のスズ子ちゃんに羽鳥先生は『ラッパと娘』の楽譜を渡しました。

今にして思えば、羽鳥先生がスズ子ちゃんに『ラッパと娘』の楽譜を手渡した瞬間は記念すべき瞬間です。

それは羽鳥先生が理想の音楽を表現する機会を手に入れた瞬間。

そして「スウィングの女王」の最初の一歩の瞬間でもありました。

そして、羽鳥先生がスズ子ちゃんに『ラッパと娘』の楽譜を手渡した回から、笑う鬼・羽鳥先生によるハードなレッスンが開始。

第6週の27回に始まったレッスンは28回も続きましたが羽鳥先生は納得せず。

思い詰めたスズ子ちゃんは演出家の松永さんからアドバイスをもらい、「羽鳥を殺す」つもりで踊りながら歌ったところ羽鳥先生はついに認めてくれました。

それが第6週の29回。

スズ子ちゃんの歌を羽鳥先生はなかなか認めようとはしませんでした。

しかし、羽鳥先生はスズ子ちゃんの才能だけは見抜いていたことが判明。

羽鳥先生の奥さまの麻里さんが「ジャズを歌える歌い手と出会えたと羽鳥が喜んでいる」とスズ子ちゃんに告げましたが、この一言は救いになりました。

そして第6週の30回。

羽鳥先生の指揮による、スズ子ちゃんの『ラッパと娘』の圧巻のパフォーマンス。

ここまで来る過程で、羽鳥先生はスズ子ちゃんに言いました。

「福来スズ子をつくれ」と。

『ラッパと娘』のステージで「福来スズ子が完成」し「スウィングの女王」と報じられることに。

その翌年の昭和14年、第7週の31回。

羽鳥先生は新曲を書くために作詞家の藤村薫と組むことに。

下宿屋のチズさんが羽鳥先生を「妙に明るいおじさん」と表現したのがこのころのこと。

このころが戦前の羽鳥先生の明るさのピークでした。

昭和13年から昭和14年のころにかけての羽鳥先生の明るさが、上海がからんで来てから少しだけ戻ってきました。

あの頃の明るさが完全に戻ってくる日が待ち遠しくてなりません。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

スズ子ちゃんと愛助くんの恋バナが始まって以来、愛助くんのご実家の関係者が登場しました。

村山興業東京支社長の坂口さんと愛助くんのお母上のトミさんです。

これら愛助くんのご実家関連の登場人物たちの実在モデルは次のとおりです。

坂口さんの実在モデル
吉本頴右の叔父で、後に吉本興業の三代目社長になる林弘高氏が坂口さんの実在モデルです。

林弘高は荻窪にある自宅で、戦前までフランス人が住んでいた空き家を借り上げ、笠置シヅ子さんと吉本頴右をそこに住まわせました。

しかし笠置シヅ子さんと吉本頴右を荻窪の住まわせたとき、林弘高氏は二人の関係に気がついてはいなかったようです。

林弘高氏が二人の関係を察し始めたのは戦後になってから。

もしかするともっと早く気がついていたのに見て見ぬふりをしていたということも考えられます。

しかし終戦の翌年に笠置シヅ子さんは林弘高氏について「そろそろ林常務にもわかってきた」と言って、二人の関係が勘付かれたようだと自伝の中で述べています。

トミさんの実在モデル
トミさんの実在モデルは言わずと知れた吉本興業の創業者・吉本せいさんです。

吉本せいさんについては、他のページで幾度も触れていますので、本欄では詳細は省きます。

トミさんと吉本せいさんの最大の違いの一つ。

それは戦時中の今の段階では、吉本せいさんは息子の恋のことをまったく知らないという点です。

山下さんの実在モデル
村山興業をリタイアした社員の山下さんというキャラもドラマの中で村山興業の関係者として登場します。

しかし山下さんと同様の経歴を持った実在モデルらしき人物は今のところ特定できていないので本欄では割愛させていただきます。

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POSTED COMMENT

  1. ばなななち より:

    歌手として再始動することが見れた面白い週でしたね

    今年もブログ楽しく読ませていただきました!
    ありがとうございました、来年も宜しくお願いします!

  2. よるは去った より:

    スズ子「何やこれ··············。」

     こんな言葉発するだけでも精一杯だったかもしれませんね。

  3. ずんこ より:

    名乗る程の者ではないでおま様

    それ、私も思いました。
    ナンボほど「一番」があるねん、と。
    それでふと、思ったのです。
    もしかしてこれは、視聴者に突っ込ませるためのボケ?
    トミさん、ああ見えて意外と天然なのかも。
    おっかな社長の可愛げ、と見るのは穿ち過ぎでしょうか。

    大空襲で焼け野原になった東京。
    ウクライナ、ガザ。
    How many times must the cannon ball fly
    Before they’re forever banned?
    学ばない人間たち。

  4. 名乗る程の者ではないでおま より:

    紅白歌合戦って「ブギウギ」コーナーないんか?神木くんがゲストで「らんまん」は少なからず触れられるみたいですが(個人的には神木&浜辺コンビはらんまんよりもマイゴジの印象なんだけどね)
    世界一有名なネズミのコーナーやるなら「ブギウギ」やれよと個人感
    まあこれで紅白歌合戦はトップ出演のリーダーズ見てから民放に変えることができるか、あのちゃんがゲロチュー歌う時にはチャンネル戻すけどな(クイーンの選曲はナイスかと、あの曲ならばフレディの声でなくても違和感ないし不参加のジョンのベースも然程目立たない曲だし)

    三鷹は史実通りなら然程空襲の被害はなかったはず、だけど日劇まで遠くない下宿先はどうだっただろう?
    あと大阪福島、地域によってかなり被害に差があるんだが

  5. 還暦のたつお より:

    症状一時改善。羽鳥先生合同音楽会に思うところ有。巡業中は愛助さんが心配。空襲の一報。だけどショウマストゴーオン。決然と舞台に立つ。東京は焼け野原。果たして。

  6. 丹善人 より:

    大震災の時でも、上層部は華美音曲のたぐいは自粛要請があったけれど、
    一般庶民は、野っ原でもどこでも音曲を待っていた。心のゆとりを
    人々は望んでいた。政府主導を錦の御旗にして振り回す自粛警察など
    糞食らえ。慰問がどれだけ救いになったのか。
    歴史から何も学ぼうとしない人々が今でも多数いる。

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