NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ばけばけ』
2025年12月8日 〜 12月12日放送
あらすじ
ヘブンの初めての正月
明治24年(1891年)1月。ヘブンが日本に来て初めての正月を迎えました。ヘブンは日本滞在記を完成させることを新年の抱負として語りました。
そしてヘブンは日本滞在記を完成させたら自分は帰国するつもりだ。来年の正月にはもう日本にはいないだろうと宣言しました。
ヘブンとリヨの仲
借金を抱える松野家はトキがヘブンからもらう給金が必要でした。そこで司之介らはヘブンを帰国させぬよう、ヘブンとリヨの仲を応援することにしました。
リヨ本人もヘブンの気を引こうと必死でした。父に頼んでヘブンの家にストーブを設置するなど、ヘブンとの距離を縮めるために出来ることをしました。
リヨがヘブンにプロポーズ
そんな中、リヨがヘブンにプロポーズしました。しかしヘブンは親に捨てられた過去や一度離婚した過去を語り、どこかに定住しないと決めているのだと言いました。
その場にいた誰もがヘブンの過去に驚きました。そしてヘブンとリヨのことはすべて終わったのだとトキは察しました。
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今週の展開
51: 12/8(月)
52: 12/9(火)
53: 12/10(水)
54: 12/11(木)
55: 12/12(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
ラフカディオ・ハーンが松江に来るまで
日本に着いて早々、ラフカディオ・ハーンは挿絵画家のウェルドンに手持ちの金を持ち逃げされました。
そこでラフカディオ・ハーンは、日本で働き口を見つけて仕事をし滞在費用を稼ぎ日本の紀行文を書き続けると決めました。
仕事はすぐに見つかりました。
欧米人の子女のための私立学校の作文の教師。
それがラフカディオ・ハーンの仕事でした。
ところが教師として着任前にトラブルが発生。
同校のイギリス人校長の日本人に対する横柄な態度にラフカディオ・ハーンは激怒。
同校長と喧嘩になった末に着任前に仕事をキャンセルしてしまったのです。
そんな中でラフカディオ・ハーンが思い出したのは日本研究者であるバジル・ホール・チェンバレンの存在でした。
バジル・ホール・チェンバレンは『古事記』の英訳者として知られ、その時点で来日してから18年目を迎えていました。
ラフカディオ・ハーンは来日直前に英訳版『古事記』を読み深い感銘を受けていたのです。
紹介状を書いてもらったラフカディオ・ハーンは、東京帝国大学のバジル・ホール・チェンバレンを訪問。
バジル・ホール・チェンバレンはすぐに仕事を紹介してくれました。
大分県の尋常中学の英語教師の職でした。
都会よりも地方を愛するラフカディオ・ハーンにとって、大分県での仕事はこれ以上望めないほどのチャンスでした。
ところがその数日後、大分県での仕事はなくなった旨の手紙がラフカディオ・ハーンのもとに届きました。
しかしその手紙には続きがありました。
島根県の松江で英語教師を求めているという情報でした。
ラフカディオ・ハーンは飛び上がらんばかりに喜びました。
島根県の松江、それは『古事記』に記されている出雲の神々のふるさとだったからです。
1890年8月、セツが稲垣家と小泉家の家族を支えるために懸命に働いているころ、ラフカディオ・ハーンは松江に到着。
英語教師として働き始めました。
ラフカディオ・ハーンの離婚
大叔母サラ・ブレナンの破産によって、ラフカディオ・ハーンがカトリック系の全寮制の学校からの退学を余儀なくされた2年後の1869年。
ラフカディオ・ハーンは移民船に乗って米国に渡りました。
移民船はニューヨークに付き、そこから移民列車に乗ってシンシナティへ。
印刷屋の主人に、紙の裁断場で紙の裁断屑で作ったベッドで寝る生活をしながら、ビラ配りや電報配達などをしながら飢えをしのぐ毎日。
その一方で図書館で読書しつつ文筆活動も始めていました。
移民船で米国に渡ったときから5年後の1874年、ラフカディオ・ハーンは『シンシナティ・インクワイアラー』紙の記者になりました。
同社に持ち込んだ原稿が採用され、それがきっかけとなり『シンシナティ・インクワイアラー』紙の社員にもなり収入も増加。
ところが1年足らずでラフカディオ・ハーンは解雇されてしまいました。
解雇の理由はラフカディオ・ハーンの結婚。
ラフカディオ・ハーンは白人と黒人の混血女性でしたが、当時は混血女性との結婚は非合法な行いだったのです。
しかし、その結婚も一年で破綻。
ある日、結婚相手のアリシアはラフカディオ・ハーンにこう言ったそうです。
「あなたは私を愛したんじゃない。同情して結婚しただけ」
失意のラフカディオ・ハーンは1877年にシンシナティを去りニューオリンズへ移住。
ニューオリンズでは餓死寸船の貧窮も経験しましたが、移住した翌々年の1879年には地方紙『アイテム』に入社。
ラフカディオ・ハーンが来日したのは1890年でしたが、それまでの10年ほどは仕事にも恵まれ、何冊もの著書も出版できました。
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