風、薫る 第11週「」予習レビューとあらすじ
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『風、薫る』
2023年6月8日 〜 6月12日放送
直美に心を開く夕凪
夕凪は懸命に自分のことを看護してくれる直美に対して心を開くようになりました。そして夕凪は魚住セツが本名であることを打ち明けました。
直美も夕凪に心を開き、自分の母親は女郎だったこと。自分は母親に捨てられみなしごだったことを打ち明けました。
夕凪が解放される
夕凪の話をりんから聞かされ島田が書いた記事が新聞に掲載。その記事を読んだ権田に夕凪はひどい目にあわされるのではないかとりんは心配でした。
しかし島田が書いた続きの記事で権田の遊郭に抗議が殺到。記事の掲載を止めるという交換条件によって、権田は夕凪を解放しました。
「夕凪」という名の由来
そして迎えた夕凪の退院の日。夕凪は同郷の女郎から「夕凪」という名前をもらったこと。そして自分は妊娠したが産めなかったことを打ち明けました。
続けて夕凪は、直美の母が直美を産んだのは直美に会いたかったからだと言いました。夕凪の言葉を聞かされた直美は、母親への複雑な思いが変わるのを感じるのでした。
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今週の展開
51: 6/8(月)
52: 6/9(火)
53: 6/10(水)
54: 6/11(木)
55: 6/12(金)
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週は直美ちゃんの過去が明らかになれ、同時に直美ちゃんは心の中で過去を清算することができました。
なお直美ちゃんの母親については完全な創作ストーリー。
りんちゃんの実在モデルとともに日本の看護の発展に寄与した鈴木雅さんは、ドラマの中の直美ちゃんとはまったく異なる生い立ちを持っています。
そこで今週の予習レビューでは、鈴木雅さんの生涯についてまとめました。
鈴木雅
鈴木雅(1858年-1940年、安政4年-昭和15年)は、日本の看護の発展に大きく貢献した人物です。
旧姓は加藤といい、父は幕臣の加藤信盛、母はトヨという家庭に育ちました。
浅草にあったとされる加藤家の地で生まれたと考えられていますが、その正確な場所は現在では分かっていません。
父・信盛は鳥羽・伏見の戦いに参加。
その後も各地を転戦、最後は五稜郭に立てこもりながらも生き延びた人物でした。
雅は1876年(明治9年)から1877年(明治10年)にかけてフェリス・セミナリーで学びます。
当時としては先進的な教育を受けたことが、その後の人生に大きな影響を与えたといえるでしょう。
1878年(明治11年)には鈴木良光と結婚。
京都で新婚生活をスタートさせます。
良光は軍人として活躍し、京都や東京、仙台へと転勤を重ねました。
しかし、1883年(明治16年)、仙台において夫・良光が病没。
雅は二人の子どもを抱えたまま、突然シングルマザーとしての人生を歩むことになります。
その後、上京した雅は学び直しの道を選び、共立女学校を修了しました。
同校では英語だけでなく、科学や数学、天文学など幅広い教育が行われており、非常に熱心な指導がなされていました。
さらに1886年(明治19年)、雅は桜井女学校附属看護婦養成所に第一期生として入学。
ここで大関和と出会い、アグネス・ヴェッチから看護学を学びました。
この経験が、彼女を本格的に看護の道へと導いていきます。
その後、帝国大学医科大学附属第一医院で内科の看護婦長を務めたのち、1891年(明治24年)には東京本郷に慈善看護婦会を設立。
これは後の東京看護婦会へとつながる重要な組織です。
また、在宅療養者を支えるための看護派出事業にも取り組み、当時としては画期的な訪問看護の仕組みを広げていきました。
さらに1896年(明治29年)には東京看護婦講習所を開設し、看護婦の育成にも尽力。
教育と実践の両面から看護の発展に寄与した点は、雅の大きな功績といえるでしょう。
また、日本最初の女医である荻野吟子らとともに大日本婦人衛生会を組織し、『婦人衛生雑誌』の刊行を通じて衛生知識の普及にも努めました。
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