カーネーション

祖母がくれた「ドレム」 / カーネーション 第5話

本放送:2011年10月7日(金)
再放送:2014年4月11日(金)
再々放送:2024年9月27日(金)
第1週 「あこがれ」
花言葉の花「ひまわり」

あらすじ

善作に殴られてからというもの、女に生まれてきたことが嫌ですっかり元気がなくなってしまった糸子。学校で男の子にちょっかいを出されても全く反応せず、家に帰ってもただ寝そべっているだけで外に遊びに出ようとすらしなくなってしまいました。

だんじり小屋に行き、泰蔵に頼んでだんじりの屋根の上に乗せてもらうものの、泰蔵から気が晴れたかと問われても首をヨコに振るだけで、意気消沈したままの糸子。そんな糸子の様子が善作も心配ですが、なすすべがありません。

そんな中、神戸の祖母から糸子宛に小包が届きました。箱を開けてみると中に収められていたのはきれいなピンクのドレス。祖母が外国人の客からもらったものの家には女の子がいないので送って来たのでした。「ドレム!」と絶叫し、糸子は欣喜雀躍します。

ところが、そのドレスは糸子には小さ過ぎました。結局、そのドレスは妹たちが順番に着ることになり、またしてもがっかりする糸子。しかし、ドレスなら女の自分にもいつか手に入れることができるかもしれないと、糸子の心は前を向き始めるのでした。

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感想

だんじりの上に乗りたいという大人になってからの夢が完全に絶たれて激しく落ち込むなんて、それだけ絶たれてしまった夢に本気だったということの何よりの証。夢に本気になれる能力というか資質が存分にあるのでしょう。

女に生まれて来たばかりに憧れのだんじりに乗れないと深く深く失望する糸子ちゃん、この深い失望が「史実」ならば、大成する人の普通人と異なるところは大成した分野の才能もあるのでしょうか、それよりも夢にどれほど本気になれるか。

裏返して言えば、夢が絶たれそうになった時にどれほど本気でその壁を乗り越えようとするか。そしてもし完全に道が絶たれてしまった場合、どれほど本気で落胆できるか、どれほど深く意気消沈できるか。

そんなところが普通人と大成できる人の違いかなと、子供ながらに深く落ち込む糸子ちゃんを見てふと思いました。と言うのも普通人の僕は子供の頃漫画家に憧れていたんです。でもある日『Dr.スランプ』の第一回連載を少年ジャンプで見てショックを受けました。

こんな天才が世の中に現れてしまったら自分みたいな才能ではとても太刀打ちできないと。そしてあっさりと夢を放棄。そして、残念ながら糸子ちゃんほどの落胆はしませんでした。今は世界的漫画家の才能を目利きしたと自分で自分を慰めています。

話しを糸子ちゃんに戻します。落ち込む糸子ちゃんの目の前の可能性がパアッと開けましたね。ピンクの「ドレム」の登場で。着ることはできなかったけど、「ドレム」ならば女に生まれたことがハンディにならないと気がつく糸子ちゃん。

糸子ちゃんの「女のうちにもいつか手に入る」というひらめき、これも「史実」なんでしょうか。「史実」だとすれば、大人になって大成する人というのは夢に対する本気度が普通人とレベルが違うのと同時に、ものごとの明るい面を発見する能力も秀逸。

将来、普通の大人になる子供が、今回の糸子ちゃんと同じ状況に陥ったら「ドレム」を着れなかったことに落胆して終わり。そんな気がします。普通でないレベルの成功を収める人が何を考えどう行動するのか。

『カーネーション』はそんな人たちを観察する良い教材ですね。成長した糸子ちゃんがこれからどんなことをしでかすのか、楽しみでなりません。

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