本放送:2011年12月19日(月)
再放送:2014年6月23日(月)
再々放送:2024年12月9日(月)
第12週「薄れゆく希望」
花言葉の花「アネモネ」
あらすじ
雨の夜、糸子が善作の幻を見た三日後のよく晴れた日、温泉旅行に行った善作は、木之元たちに抱えられて骨壺になって帰って来ました。千代に泣きながら詫びる木之元たちに、糸子は面倒をかけたと手を付いて詫びました。
お金のことを心配する妹たちを一喝し、糸子は祭壇を組んだ立派な葬式を出すことを決意。そして通夜の日、手伝いに来た女性たちは、食料が豊富に揃い酒まである小原家は闇屋に手を出しているのではないかと怪しみます。
だんじりで撮った善作の写真を祭壇に飾り、弔問客たちは善作の思いで話しに花を咲かせます。生前善作に世話になった御礼を言い、糸子に優しい言葉をかける弔問客たちを見て、善作が皆に優しかったことを改めて知る糸子。
夜も更けた頃、木岡の妻に善作の幽霊と話したのは本当かと問う妹たち。善作の幽霊は「うちとこの糸子は馬力だけの阿呆やさかい、糸子をよろしゅう頼む」と話したと木岡の妻。妹たちは父らしい言葉だと納得するのでした。
感想
冒頭は前週最後の善作おとうちゃんの幻の場面から。冷たい雨が降る夜、だんだん消えてゆく善作お父ちゃんの幻に向かって糸子が泣き叫ぶ「待って、行かんといて」冷たい雨が一転、よく晴れ渡った青空。もっと悲しい場面を晴れた日に見せる皮肉。
黒澤明監督の『酔いどれ天使』で、主人公が不治の病を宣告される悲壮な場面で商店街に流れる明るい曲がかえって主人公の窮地を際立たせる名場面があるんです。善作お父ちゃんが骨壺になって帰って来た時の青空はそれに通じるものがありました。
木之元さんや木岡さん、近所のおっちゃんたちが骨壺を抱えて帰ってきました。「お父ちゃん帰ったで」と糸子に渡そうとした骨壺を千代お母ちゃんがひったくる。千代お母ちゃんの悲痛な泣き声、あんなつらそうな泣き声は映画・ドラマで初めて。
糸子のナレーション「温泉旅行に行ったはずのお父ちゃんがお骨になって帰って来た」飄々とした、ユーモアすら感じさせる語り口で悲劇を語らせるのも、悲しさを際立たせました。
悲し過ぎて冷静さを失った木之元のおっちゃんと木岡のおっちゃんが、善作の入浴を止めた止めないで大口論。善作に酒を持たせた自分の失敗だと、悲劇の責任を自分で引き取っておっちゃんたちの喧嘩を収める糸子の手際の良さ。こんな悲しい時なのに、さすがです。
そして通夜。弔問に来る人、来る人。みんな善作に心から感謝している。家の中では困ったことも多々あったけれど、みんなに優しくし危急の際には助けていた善作お父ちゃん。近所のおっちゃんらが交代で病院に連れて行くのを厭わなかったも、そんな善作お父ちゃんの人徳だったんですね。
骨壺を抱きかかえて泣き通しだった千代お母ちゃん。一休みして夜更けに起きて来たときはずいぶんしっかりしてほっと一安心。糸子に毛布をかけてあげる気遣いも出来るほどには立ち直ったようです。
千代お母ちゃんが毛布をかけてあげた糸子、善作お父ちゃんの祭壇の前でうずくまって眠る姿が悲し過ぎます。だんじりに行く善作お父ちゃんを元気いっぱいに送り出した幼い頃の糸子が父に対して抱いていた無垢な気持ちを思い出していたんじゃないでしょうか。