本放送:2011年12月19日(土)
再放送:2014年6月21日(土)
再々放送:2024年12月7日(土)
第11週「切なる願い」
花言葉の花「カスミソウ」
あらすじ
昭和18年(1943年)4月、善作はようやく回復してきましたが、元気になるとうるさい、寝てるくらいが大人しくてちょうどいいと迷惑がる糸子。そんなある日、将棋を指しに来た木岡が弟の石川県の温泉旅行の話しを善作にします。
温泉が疥癬に効くなら一石二鳥だと、温泉旅行に行きたがる。心配する糸子でしたが、旅行を楽しみにしている善作の嬉しそうな顔を見て止めるのを諦めます。そして旅行に行く善作のために新しい国民服を縫う糸子。
旅行出発の日になりました。糸子が新調した純毛の国民服を来て嬉しそうな善作。糸子に礼を言いたいものの、照れてしまい国民服の着心地を一言二言口にするのが精一杯。そんな善作に糸子は酒を持たせて送り出します。
その夜、帳簿に善作が書いた「オハラ洋装店 店主 小原糸子」の文字を見つけて、初めて善作から認められたと喜ぶ糸子のもとに、善作危篤の電報が届きます。慌てて表に出ると号泣する糸子の眼の前に善作の幻が現れ、そして消えて行くのでした。
感想
昭和18年(1943年)4月、優子は小学校に入学。どうせすぐ大きくなるからと大きめの制服を着せられた優子を見て善作お父ちゃん「もっと大きい制服をつくれ」と糸子に小言。前髪を切り揃えるのが面倒でおかっぱにしたくても「勝手に切ってみ、承知せんぞ」
そんな善作に糸子は「ちょっと元気になると朝からガミガミ、ヨレヨレ寝てるくらいが大人しくてちょうどいい」善作がガミガミ言って糸子がブツブツ小言を言うの図が久しぶりに帰ってきました。火事以前の日常が戻りつつある小原家。
衣料切符の貼り付けをしたり、大人しく寝ていられなくなった善作お父ちゃん。木岡のおっちゃんが将棋を指しに遊びに来たり、ずいぶんと体調が回復したもんです。木岡のおっちゃんの弟・やっさんの温泉旅行の話しを聞かされた善作お父ちゃん、行きたくなってしまいました。
当然のことながら糸子は「そんな無茶はあかん」。旅行なんて行くなと言うつもりだったんでしょうか。糸子が善作のところに行くと、地図やら観光ガイドやらを枕元にいっぱい広げてここしばらく見なかったような幸せいっぱいの寝顔。
この善作お父ちゃんの寝顔に糸子はほだされましたね。「しゃあない」と旅行する父のために新しい国民服を縫う糸子。その新調された国民服を着た善作お父ちゃんの、これまで見せた事がないような嬉しそうな顔。
近所のおっちゃん連中から「持つべきものは洋裁屋の娘」と羨ましがられ、善作お父ちゃんもまんざらではない様子。満面に喜びを讃えた善作お父ちゃん「ごっつええなあ、ぬくいし」と礼を言いたくても照れて素直に言えない善作お父ちゃんが可愛い。
でも、水筒に入れた「米でつくった水」を渡された時は素直に御礼。それでも善作お父ちゃんとしてはきっと国民服のほうが数段嬉しかったはず。でも糸子は素直に礼を言った「米でつくった水」の方が嬉しいのかと気持ちのすれ違い。
善作お父ちゃんは近所のおっちゃんたちと張り切って出発。その夜、帳簿を開いた糸子が「オハラ洋装店 店主 小原糸子」の文字を発見。誰が書いたのかと訝しむ糸子。ハルおばあちゃんは善作の文字に間違いない。
糸子、その文字を大事そうに一字一字なぞって読みながら「父からはじめて認めてもらったような気がする」。さて、国民服を新調してくれた糸子の心遣いが嬉しくてしどろもどろなりに礼を言ったり糸子を「店主」と認めたり。
これまで善作お父ちゃんがついぞ見せた事のなかった言動・行動を心配していたら案の定というか・・・善作危篤の電報を受け取った糸子が恐らく木岡のおばちゃんに旅館の住所を聞きに行こうとしたの雨降る夜道に出ました。
すると夜道の向こうに微笑む善作お父ちゃんの幻がすこしづつ消えつつある。「待って、行かんといて」と糸子が泣きわめくもついに善作お父ちゃんの幻は消えてしまいました。昭和18年4月27日、善作お父ちゃん享年59歳。悲しい。