ブギウギ

ブギウギ 第2週「笑う門には福来る」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2023年10月9日 〜 10月13日放送

あらすじ

梅丸少女歌劇団に入団する

昭和2年(1927年)4月。道頓堀に新設されてからまだ5年ほどしか経たない梅丸少女歌劇団(USK)に鈴子は入団しました。

劇団を引っ張るトップスター・大和礼子の踊りに鈴子は魅了されました。しかし、その一方で鈴子たち新入生を待っていたのは厳しい規律と稽古の日々でした。

入団から一ヶ月が経ち、厳しさに耐えかねた鈴子の同期たちは次々と退団。残ったのは鈴子、白川幸子、桜庭辰美の3人だけとなりました。

デビューするチャンス

残った同期の3人の関係がギクシャクする中、新入生がデビューするチャンスが与えられました。しかしデビューできるのは3人のうちの1人だけでした。

そんな中、鈴子が熱を出して倒れました。熱にうなされながら鈴子は不思議な夢を見ました。弟の六郎が、自分たちは本当の兄弟ではないかもしれないと言ったのです。

その数日後、幸子と辰美が見舞いに来ました。二人の仲が悪いことを案じていた鈴子は間も無く自分は死ぬと一芝居打ち、それがきっかけで三人はようやく仲良くなれました。

3人揃ってデビューする

新入生のデビューのチャンスである単独公演を一ヶ月後にひかえたある日。ある知らせが鈴子たちを喜ばせました。三人揃ってデビューできることになったのです。

デビューを機に、鈴子は「福来スズ子」、白川幸子は「リリー白川」、桜庭辰美は「桜庭和希」という芸名を名乗り、単独公演では「水の滴」役を演じることになりました。

そして迎えた公演の日。梅吉とツヤ、そしてタイ子たちが見守る中、第一回単独公演『四季の宴』は無事に終了。その6年後、スズ子たちはレビューガールに成長していました。

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今週の展開

6: 10/9(月) 鈴子がUSKに入団する
7: 10/10(火) 残った同期はわずか3名
8: 10/11(水) デビューのチャンス到来
9: 10/12(木) 鈴子が高熱を出し倒れる
10: 10/13(金) 芸名が「福来スズ子」に

予習レビューと史実のリアルエピソード

梅丸少女歌劇団

実在人物・企業名劇中人物・企業名
笠置シヅ子スズ子
飛鳥明子大和礼子
宝塚少女歌劇団花咲音楽学校
松竹楽劇部養成所梅丸少女歌劇団

前週のドラマの中で、花咲音楽学校を受験する決意を固めた鈴子ちゃんでしたが、入ったのは花咲音楽学校ではなく梅丸少女歌劇団。

史実では、笠置シヅ子さんは宝塚少女歌劇団の受験に失敗し、松竹楽劇部養成所に頼み込んで入団を許可されています。

そのためドラマの中でも花咲音楽学校を受験する決意を固めたものの、入ったのは梅丸少女歌劇団です。

松竹楽劇部養成所
笠置シヅ子さんは、すでに生徒の募集を終えた松竹楽劇部養成所に連日通い続けて入団させてほしいと訴え続けたのだとか。

その熱意が通じ、笠置シヅ子さんはスター役者の部屋子として雑用をしながら、歌と踊りの稽古に勤しみました。

また、異例の形で入団をさせてもらったからには、誰よりも努力が必要だと笠置シヅ子さんは覚悟。

先輩たちの誰かが休んだときに代役をつとめられるよう、すべての役を覚えてしまったのだとか。

その結果、代役として小さな役をもらう機会が増え、実力をつけていったということです。

大和礼子の実在モデルは誰?
ドラマの中で静子ちゃんが憧れるトップスターの名は大和礼子。

大和礼子はその後も静子ちゃんの憧れの存在であり続けます。

史実の中で笠置シヅ子さんが最初に魅了されるのは水の江瀧子さん。

笠置シヅ子さんが入団して数年を経たころ、水の江瀧子さんは会社の方針に反発して労働争議を起こします。

ドラマの中でも大和礼子も労働争議を起こします。

よって大和礼子の実在モデルは水の江瀧子さんではなかろうかとブログ主は考えていました。

しかし、史実の中では大阪の労働争議を主導したのは飛鳥明子さん。

ドラマの中の大和礼子の退団後の人生と、飛鳥明子さんの退団後の人生に共通点がいくつもあることから、大和礼子の実在モデルは飛鳥明子さんと思われます。

舞台デビュー
笠置シヅ子さんが松竹楽劇部養成所に入ったのは昭和2年(1927年)。

その年の8月には大阪松竹座『日本新八景おどり』で「華厳の滝の水玉の精」の役で舞台デビュー。

このときの芸名は「三笠静子」。

この芸名は近所の人につけてもらったのだそうです。

梅丸少女歌劇団の実在モデル・松竹歌劇団の黒歴史

松竹歌劇団の前進にあたる松竹楽劇部が創設されたのは大正11年(1922年)。

阪急の宝塚少女歌劇団の成功を目にした松竹が、大正12年(1923年)の大阪松竹座の開業にあわせて発足しました。

松竹楽劇部発足にあたって松竹は

振付:楳茂都氏
作曲及び声楽:原田潤氏
オーケストラの指揮:松本四郎氏

を宝塚少女歌劇団から引き抜きました。

この引き抜きについて阪急の創始者で『らんまん』の中で、寿恵子ちゃんが渋谷に開業した「山桃」に客としてやってきた小林一三氏が次のような言葉を残しています。

この三先生を宝塚から引抜くことによって、松竹少女歌劇は創設されたのであるが、その当時宝塚はどんなに苦しんだかを思い出した。爾来いつもいつも宝塚は引き抜かれるだけである。然し我々は、窃盗に這入っ奪いとるよりも、とられる方が倖せの身分であることを知っている。
引用:小林一三『宝塚漫筆』

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