ブギウギ

ブギウギ 第8週「ワテのお母ちゃん」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2023年11月20日 〜 11月24日放送

あらすじ

ツヤが具合を悪くする

昭和14年(1939年)ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに英仏がドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まりました。

梅丸楽劇団では日宝に移籍した松永の後任演出家の竹田が愛国的な演出を推進。スズ子、羽鳥、辛島の三人は違和感を感じはじめていました。

同じころ、大阪のスズ子の実家では、具合を悪くしたツヤが床に伏せるようになっていました。そんな中、六郎に召集令状が届きました。

六郎が出征/ツヤが危篤

熱々先生が連れてきた医師がツヤを診断。ツヤの病状は重く、もはや手遅れの状態であることを、医師は梅吉とツヤに告げました。

梅吉は激しく動揺するものの、ツヤはこのことをスズ子と六郎に言ってはいけないと梅吉に言いました。そんな中、召集された六郎が梅吉たちに見送られ旅立ちました。

六郎は入隊前に東京のスズ子を訪問。死にたくないと六郎はスズ子に本音を打ち明けました。六郎が出征した数日後、スズ子のもとに「ハハ キトク」の電報が届きました。

ツヤの最期

六郎の出征とツヤの危篤が重なり、スズ子は梅吉のことが心配でした。しかしスズ子は実家には帰らずステージの仕事をやり遂げる決意を固めました。

千秋楽を終えたスズ子は大阪の実家に駆けつけました。そして衰弱しきったツヤの姿を見て号泣。その翌朝、ツヤは元気を取り戻すもののそれはわずかな間のことでした。

ほどなくしてツヤはスズ子の歌声を聴きながら息を引き取りました。ツヤの葬儀を終え、梅吉は東京でスズ子と暮らすことになりました。

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今週の展開

36: 11/20(月) ツヤが体調を損ね寝込む
37: 11/21(火) 専門医の診察受けるツヤ
38: 11/22(水) スズ子と六郎が再会する
39: 11/23(木) 大阪の実家へ帰るスズ子
40: 11/24(金) スズ子がはな湯閉店決断

予習レビューと史実のリアルエピソード

母の死

実在人物・企業名劇中人物・企業名
笠置シヅ子スズ子
亀井音吉花田梅吉
亀井うめ花田ツヤ

笠置シヅ子さんが東京で注目を浴びていたそのころ、悲しい別れがやってきます。

養母・亀井うめさんの死です。

笠置シヅ子さんが「松竹楽劇団(SGD)」のメンバーに選ばれ上京する少し前に、笠置シヅ子さんの生家はそれまで営んでいた銭湯を廃業。

散髪屋に商売替えをしていました。

散髪屋は、笠置シヅ子さんの弟・八郎さんも手伝っていました。

そして笠置シヅ子さんが上京する三ヶ月前、日中戦争勃発により八郎さんは徴兵。

八郎さんの徴兵により、音吉さん・うめさん夫妻は意気消沈して散髪屋を廃業しました。

また、そのころのうめさんは病気を患っていました。

うめさんは胃がんを患っていた上に心臓も弱っていました。

うめさんが病気、音吉さんは散髪屋を廃業するほどに落ち込んでいる最悪のタイミングで、笠置シヅ子さんの上京が決まりました。

なので、特にうめさんは笠置シヅ子さんの上京に難色を示したのだとか。

しかし、ついにうめさんは笠置シヅ子さんの上京を受け入れ、芸の道にだけ打ち込むようにとの言葉を娘に贈り、笠置シヅ子さんを東京に送り出しました。

そして笠置シヅ子さんは上京。

上京の翌年、昭和14年(1939年)、うめさんは入院先の日進会病院で死去。

笠置シヅ子さんのお母上の危篤の知らせを受けた松竹楽劇団(SGD)は、笠置シヅ子さんを大阪に帰らせるつもりでした。

しかし代役の調整がつかなず、笠置シヅ子さんは大阪に帰ることができませんでした。

笠置シヅ子さんがようやく大阪に帰ることができたのは、うめさんの四十九日の抱擁のときでした。

笠置シヅ子さん出生の真実
笠置シヅ子さんはかつて、自分が亀井家の養子の身であることを知ってしまいました。

しかし笠置シヅ子さんは、自分を大事に育ててくれた音吉さん・うめさん夫妻を傷つけたくない一心から自分が「実の子」であることを演じとおしました。

なので、うめさんは自分が「たった一人の母親」であると信じてこの世を去りました。

このことについて笠置シヅ子さんは「実の親になりすまして母を死なせることができたのはせめてもの供養」と述べています。(笠置シヅ子『歌う自画像』)

うめさんは、それほどまでに「養女」の笠置シヅ子さんに愛情を注いでいたようです。

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