ブギウギ

ブギウギ 第22週「あ〜しんど♪」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2024年2月26日 〜 3月1日放送

あらすじ

家政婦・大野晶子

茨田りつ子に紹介された青森出身の家政婦・大野晶子がスズ子のもとにやってきて半年ほどが経過したころ。愛子は晶子にすっかりなついていました。

晶子はりつ子の実家の呉服屋の女中で戦争で家族を亡くしていました。スズ子は晶子に同情し、家族のように絆を深めていきました。

トミが亡くなる

ヒット曲を出し続けているスズ子と羽鳥は、それまで以上のヒット曲を求められ、そのプレッシャーに苦しんでいました。

そんなある日、トミがなくなりました。スズ子は愛子を連れてトミの葬儀に参列。坂口と矢崎から、生前のトミがスズ子のレコードを集めていたことを聞かされました。

新曲『買い物ブギー』

山下がマネージャーをやめると宣言。新しいマネージャー候補として甥の柴本タケシを、山下はスズ子に紹介。しかし経験のないタケシは仕事のミスを繰り返しました。

そんな中で羽鳥はスズ子の新曲『買い物ブギー』を完成。新曲はヒットし、タケシもまた仕事への決意を新たにしました。

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今週の展開

102: 2/26(月) 家政婦の大野が来て半年
103: 2/27(火) ブギの新曲書けない羽鳥
104: 2/28(水) スズ子にトミの訃報届く
105: 2/29(木) 山下がマネージャー引退
106: 3/1(金) タケシに不安抱くスズ子

予習レビューと史実のリアルエピソード

吉本せいの死

吉本頴右さんが亡くなったのは昭和22年(1947年)5月19日。

それから3年ほどが経過した昭和25年(1950年)3月14日、吉本せいが亡くなりました。

享年60歳。

死因は肺結核でした。

ドラマの中で描かれる葬儀が行われたのは昭和25年(1950年)3月27日。

四天王寺で行われた告別式には、笠置シヅ子さんが娘のエイ子ちゃんを連れて参列しています。

吉本せいさんの死後、吉本興業の経営は吉本せいさんの実弟・林正之助さんに任されることになりました。

笠置シヅ子さんと吉本せいさんの初の対面

ドラマの中では愛助くんが存命中にスズ子ちゃんとトミさんが対面する場面が描かれました。

一方、史実では笠置シヅ子さんが吉本せいさんと初めて対面したのは吉本頴右さんが亡くなった後のことでした。

笠置シヅ子さんが吉本せいさんと初めて対面したのは、吉本頴右さんが亡くなった4ヶ月後の昭和22年(1947年)9月。

大阪の梅田劇場に出演した笠置シヅ子さんが、生まれたばかりのエイ子ちゃんを連れて、吉本せいさんの病気見舞いをしたときが初の対面でした。

その翌年の吉本頴右さんの一周忌にも笠置シヅ子さんは参列しています。

笠置シヅ子さんと吉本頴右さんの結婚

吉本せいさんは、笠置シヅ子さんと吉本頴右さんの結婚を頑なに反対し続けていたわけでもなかったようです。

笠置シヅ子さんが歌手をやめる決意を固めたこともあってか、吉本頴右さんが亡くなる直前のタイミングでは、吉本せいさんの態度は軟化していたと言われています。

吉本せいさんが笠置シヅ子さんを受け入れ始めていたこともあり、吉本頴右さんの死後、笠置シヅ子さんは吉本せいさんの病気見舞いにも足を運べたようです。

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POSTED COMMENT

  1. 名乗る程の者ではないでおま より:

    個人的に一番好きだったサッカー日本代表と聞かれたら93年アジア最終予選を戦ったオフトジャパン、通称ドーハ組と答えます
    それまでW杯といったら日本は無縁のイベントだったものを「ひょっとしたら出れそう、頼む、ここまで来たら出てくれ!」と感じさせてくれたチーム、それにメンツがなんと言うか男臭かったんですよね、「魁 男塾」みたいな(「ドーハの悲劇」が昨年末に「ドーハの歓喜」に変換されてましたね、30年…長かった)
    そのチームの中心にいたのがカズでした、だからね息子に対しても思い入れがあるんですわ、ワイは

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