2024/7/3(水)第14週「女房百日 馬二十日?」
あらすじ
寅子が日本人男性とフランス人女性の夫婦の離婚調停を担当することになりました。
この夫婦は二人揃って息子の親権を手放したがっていました。
息子の栄二は窃盗事件を繰り返していたのです。
栄二が窃盗事件を繰り返す責任を両親は互いに押し付け合い、その様子を見た栄二は心を閉ざしてしまいました。
そんな中で寅子は栄二を救うことはできないかと、その方法を模索しました。
同じころ最高裁では「尊属殺の規定」に関するある判決が下されていました。
その裁判の15人の最高裁の裁判官の中には穂高も名を連ねていました。
参考:Yahoo!テレビ
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
最高裁長官・星朋彦の実在モデル:三淵忠彦
今週は、リアルトラちゃんの未来の再婚相手と思われる重要キャラ・星航一が登場。
星航一の登場を機に、すでに登場はしていた最高裁長官・星朋彦との交流も始まる模様。
そこで、星朋彦の実在モデルである三淵忠彦氏についてまとめました。
昭和22年5月、日本国憲法の施行と同時に最高裁判所が発足。
その三ヶ月の昭和22年(1947年)8月、初代最高裁長官に就任したのが三淵忠彦氏です。
三淵忠彦氏は明治13年(1880年)3月3日、岡山県生まれ。
東京帝国大学を家庭の事情から中退後、京都帝国大学に入学し直し卒業。
卒業後は東京地方裁判所の判事をつとめました。
しかし45歳のときに判事を退官し、三井信託の法律顧問に就任し同職に60歳まで就いていました。
60歳で三井信託の法律顧問を辞任。
その後はリタイア生活を送っていたものの、昭和22年(1947年)8月、67歳のときに初代最高裁長官に就任しました。
初代最高裁長官に就任した三淵忠彦氏は裁判官の処遇改善に尽力。
一方、当時の三淵忠彦氏は病気がちでした。
三淵忠彦氏は最高裁長官職を定年までつとめあげ、昭和25年(1950年)3月、70歳のときに退官。
三淵忠彦氏の最高裁長官の任期は昭和22年(1947年)8月4日から昭和25年(1950年)3月2日まで。
そして最高裁長官を退官した三ヶ月後の昭和25年(1950年)7月14日、死去しました。
リアルトラちゃんと三淵忠彦氏の長男・三淵乾太郎氏が再婚したのは、三淵忠彦氏の死後6年後のことでした。
追記:三淵忠彦氏が別荘として建て晩年を過ごした家が『三淵邸・甘柑荘』として神奈川県小田原市に保存されています。
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