虎に翼

多岐川の病状が悪化する / 虎に翼 第120回

2024/9/13(金)第24週「女三人あれば身代が潰れる?」

あらすじ

寅子が多岐川を訪れると、多岐川の寝室に落ち込んでいる薫がいました。薫は香淑の出自を理由に恋人と別れたことを告げました。そして、そんな男と別れてよかったと薫は気丈に振る舞いました。

その日、寅子と家庭裁判所の面々は多岐川のもとに集まり、法務省の少年法の改正要綱に対する多岐川の意見を聞きました。そして怒りに震えながら改正要綱に抗議する多岐川の言葉を、寅子たちは意見書としてまとめました。

そんな中、薫が多岐川に頼み、香淑の兄・潤哲の来日が実現しました。香淑と潤哲は30年ぶりに再会し、二人は和解。再会した香淑と潤哲を嬉しそうに見守る多岐川はほどなくして亡くなりました。

多岐川が亡くなったことを久藤は桂場に知らせ、多岐川が作成した意見書を桂場に渡しました。桂場がその意見書に目を通しているそのとき、桂場の目の前に多岐川の幻が現れ、家庭裁判所の未来を桂場に託すのでした。

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感想

前週から数年がスキップして昭和43年。

人間模様も社会環境も、前週よりも大きく変化していました。

今週の振り返り:多岐川さん

家裁の人々も、そして家裁そのものも環境が大きく変わっていました。

そんな中で家裁の父・多岐川さんが病気に。

そして多岐川さんが不在の中、少年法や家裁の在り方は、多岐川さんが望んだのとは正反対の方向に。

法務省が作成した少年法の改正要綱に対して怒りを露わにする多岐川さん。

最後の力を振り絞って改正要綱に対する意見を述べ、トラちゃんたちが筆記。

多岐川さんの最期の仕事として意見書がまとめられました。

意見書、多岐川さんの遺言といっても差し支えないレベルかと思います。

今週の振り返り:ヒャンちゃんと薫ちゃん

ヒャンちゃんと薫ちゃんが対立。

ヒャンちゃんが自分の出自をこれまで黙っていたことに対して薫ちゃんは腹を立てたらしい。

ヒャンちゃんと薫ちゃんの対立は続き、薫ちゃんの家の中での唯一の居場所は多岐川さんの寝室。

薫ちゃん、多岐川さんのことが大好きだったらしい。

そんな薫ちゃんも恋人と別れたことで吹っ切れたのか、ヒャンちゃんの気持ちを理解しました。

ヒャンちゃんもまた、出自を隠していたことを反省し「崔香淑」を取り戻すと決意。

ヒャンちゃんはまたお兄さんの潤哲さんと再会。

潤哲さんの来日は薫ちゃんによって実現したというところが泣かせます。

今週の振り返り:桂場さんが最高裁長官に就任

桂場さんが司法の頂点である最高裁長官に就任しました。

しかし、司法の頂点の重圧は大変なものらしく、桂場さんは桂場さんらしさをすっかり失ってしまいました。

トラちゃんの言葉を借りるなら焦っている桂場さん。

竹もと改め笹竹で一息つく時間もないらしい。

そんな中で、意見書をまとめた多岐川さんから来いと言われたものの、それを一蹴。

しかし、ライアンさんから渡された桂場さんは多岐川さんの意見書を神妙な表情を浮かべながら読みました。

桂場さん、何を思いながら読んでいたのかな?

今週の振り返り:優未ちゃん

優未ちゃんを演じる役者さんがまたしても交代。

優未ちゃんは高校生から寄生虫の研究をする大学院生に。

しかし、研究者としての将来を信じられないらしい。

大学院をやめるかどうかで航一さんと小さな衝突を起こすことに。

しかし意外にもトラちゃんは優未ちゃんの意向を尊重。

優未ちゃんにとっては救いでした。

優未ちゃん、晴れて大学院をやめることができたみたいですが、これから先どうするつもりなのか。

今週の振り返り:美位子さんの裁判

よねちゃんと轟さんのもとに持ち込まれたおぞましい事件。

朝ドラの中でこんな事件が取り扱われるだけでなく、事件発生時の場面まで見ることになるのは想定外でした。

この事件の裁判は今週始まったばかり。

本作の残り2週間で描かれることになるらしい。

今週は二審が開かれることが決まったところでおしまいでした。

次週予告

ついにサイコパス少女のエピソードが回収されるようです。

予告映像の一番最後に登場したセーラー服姿の美佐江ちゃん(?)が余韻を残して一週間の放送が終わりました。

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史実のリアルエピソード

今週、ヒャンちゃんと汐見さんのお嬢さん、薫さんが逮捕されます。

学生運動の騒動に巻き込まれての逮捕のようです。

時は昭和44年(1969年)。

日本国中で学生運動が激化していた頃です。

そこで、今回の本欄では当時の学生運動の経緯をまとめてみました。

東大闘争の始まり

ことの始まりは昭和43年(1968年)6月の東大闘争でした。

東大闘争の発端は昭和20年代(1940年代後半)から続いていた、医学部生のインターン制度の廃止を要求する運動が発端です。

当時、医療現場の人手不足を補うために、医学部生たちは卒業後に無資格無給での研修を義務づけられていました。

昭和43年(1968年)1月、東大医学部全 4学年がストライキを開始。

それに対して大学部教授会は、インターン制度反対運動に従事していた学生の大量処分を決定。

その後も医学部生たちはインターン制度の廃止と学生処分の取り消しを訴えたものの、医学部教授会は訴えを無視。

そこで医学部生たちはこの問題を世の中に喧伝するために、昭和43年(1968年)6月に本郷キャンパスの安田講堂を占拠しました。

しかし、その2日後に東大執行部は学生たちを排除するために機動隊を導入。

機動隊導入が引き金となり、医学部生に対する処分の撤回や機動隊導入への謝罪を求める動きが医学部を超えて拡散。

昭和43年(1968年)10月には東大の全10学部の学生たちが、無期限ストライキを開始しました。

昭和43年(1968年)10月、東大の全10学部の学生たちが無期限ストライキを開始したものの、一方で保守派学生たちが組織化しストライキに対抗。

翌年の昭和44年(1969年)1月に、本郷キャンパスの安田講堂を占拠していた学生たちは、機動隊との衝突の末に、最終的に排除されました。

日大紛争

一方で、東大闘争に始まった学生運動は全国に拡大。

国公立と私立の大学のほとんどで、闘争状態や紛争状態に陥りました。

その中でも東大闘争と並んで全国の学生運動に多大な影響を与えたのが日大紛争です。

昭和43年(1968年)4月、日大理工学部教授が裏口入学への額の謝礼金を受け取りながら脱税したこと。

同年5月、日大の会計監査の中で使途不明金が発覚したこと。

これら二つの不正に足しいて、日大の学生たちが激怒。

大規模な大学紛争が始まりました。

昭和43年(1968年)6月、日大法学部生約300人がストライキを開始し三号館を占拠。

しかし同年9月、機動隊などによる強制排除が実施されました。

その際に、学生が校舎4階から約16kgのコンクリート片を機動隊の巡査部長めがけて落下させ、巡査部長は死亡しました。

学園紛争の中で警察官に死者が出る初のケースでした。

この事件を機に、警察の方針はそれまでの「検挙よりも解散」から「徹底的な取締」に転換。

同年10月、大学紛争が長期化する日大からは新入社員を採用しないと企業の人事担当者たちが宣言。

日大の学生たちの間で卒業や就職への不安が広がる中、紛争は収束に向かっていきました。

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POSTED COMMENT

  1. 還暦のたつお より:

    思わぬ形でヒョンちゃん親子和解。そうか彼らはヒョンちゃんが汐見さんの細君って知らなかったんだ。みんな出世したなあ。法務省の少年法改正。多岐川さんの反対、桂場さんには届かず。韓国から懐かし顔が。えっ多岐川さん台詞死。ライアンさん、岐川さんの遺書とも言うべき少年法改正反対の草案を持って桂場さんの元へ。追記、「新宿野戦病院」終わりました。コロナの感染者をラブホテルに収容するというアイデアどこかでやってたのかな?このドラマ見るとやたらペヤングソース焼きそばをやたら食べたくなります。

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