2024/9/25(水)最終週/第26週「虎に翼」
あらすじ
昭和48年(1973年)4月。最高裁の大法廷で美位子の事件の判決が下される日を迎えました。その日の朝、寅子はよねと轟のもとに応援に駆けつけました。そして開廷。桂場は現判決を破棄する判決を下しました。その翌月、桂場は退官しました。
判決が下される日の朝、寅子は美位子に話しかけられました。勝訴になったら自分はどうなるのかと美位子は寅子に尋ねました。美位子は事件を起こした夜のことを忘れられずに苦しみ続けていました。そんな美位子を寅子は励ましました。
勝訴が決まり、美位子は改めてよねと轟に礼を述べました。そんな美位子をよねと轟は激励しました。これから美位子の新しい人生が始まるのだ。もう誰にも奪われるなと。その後、美位子は涼子の店で働くために新潟へと旅立ちました。
一方、法制審議会少年法部会による少年法改正の議論はその後も続いていました。法務省と家裁の対立は平行線をたどったまま結論が見出せずにいました。そんな中で寅子は久藤とともに家裁が目指す「愛」について語り合うのでした。
虎に翼|感想あらすじネタバレトップページ
感想
穂高教授と桂場さんの理想
尊属殺の重罰規定に対して違憲の判決を下した桂場さんは、その翌月に退官。
この退官のタイミングで思い出すのが穂高教授です。
昭和25年、「尊属殺の規定」は合憲であるという判決が下されました。
その裁判の15人の裁判官の中の一人が穂高教授でした。
15人の裁判官の中で「尊属殺の規定」は違憲であると訴えていたのはわずか2人。
2人のうちの1人が穂高教授でした。
そして判決が出た直後、穂高教授は失意の中で体調不良を理由に退官。
理想を追い求める法律家人生の中の最後の大仕事で理想を叶えることができなかった穂高教授は自らを「雨垂れの雫」と表現。
しかし、わずか2人しか違憲の声を上げなかったものの、そのわずか2人の声が23年後に現実になりました。
穂高イズムを継承する桂場さんの世代になって。
その桂場さんも一時は危うい時がありました。
司法の独立のためには穂高イズムのような理想なんて追ってられるかみたいな発言が飛び出したこともありました。
しかし桂場さんは一周して元の桂場さんに戻ってきました。
その上での退官。
恩師が成し遂げられずに退官した失意を晴らすかのように。
本作も残すところ2回。
本作の最初の週から今週に至るまで、主人公に次いで登場期間が長かった桂場さん。
この偏屈で素敵なキャラのストーリーがついに終わりました。
と同時に、トラちゃんを法律の世界に導いた穂高教授のストーリーも、弟子がその理想を成し遂げたことで終わりとなりました。
多岐川さん、ライアンさん、そしてトラちゃんの理想
穂高教授から桂場さんへと引き継がれた理想は達成できました。
もう一つの理想が残っています。
多岐川さんが掲げていた家庭裁判所の理想、多岐川さんからライアンさんとトラちゃんに引き継がれた理想です。
こちらは結論を見出せぬまま終わりました。
ライアンさんとトラちゃんは、非行少年に更正の機会を与えたい。
そのための家裁でありたい。
一方で、豊谷さんは厳罰化を訴える。
非行少年の再犯の責任を取れるのかとトラちゃんやライアンさんに迫る。
するとトラちゃんが意外な答え方をするはずだったのですが、ドラマの中ではその答えは省略されていました。
トラちゃんは次のように答えます。
責任はとれません、と。
しかし、よくよく考えてれば、たとえ厳罰化したとしても再犯を完全に防ぐことはできない。
だから厳罰化しても再犯が発生した場合、豊谷さんは責任を取れるのかと言えば取れない。
トラちゃん、いつの間にか現実を直視する人になりました。
そして理想は簡単には手に入らないことを受け入れつつ、いつか最適解が見つかることを信じて、多岐川さんの理想のストーリーはこれにて終了です。
予習レビューと史実のリアルエピソード
ドラマの中では、トラちゃんの法律家人生が描かれるのは女性初の裁判所長として横浜家裁所長に就任するまでです。
裁判官の定年退官の年齢は65歳。
トラちゃんは横浜家裁所長就任の5年後には定年退官を迎えているはずです。
ドラマの中では描かれない、リアルトラちゃんが裁所長に就任してから定年退官までの様子は前回の本欄でまとめてみました。
では定年退官後、リアルトラちゃんはどのような日々を過ごしていたのでしょうか。
一足先に定年退官したリアル航一さん
リアルトラちゃんとリアル航一さんの現役時代はすれ違いの生活が続いていました。
リアルトラちゃんが東京家裁で働いていたころ、リアル航一さんは浦和や甲府に異動。
リアル航一さんが東京に戻ると、今度はリアルトラちゃんが新潟へ異動。
そんな中で、リアル航一さんが一足早く定年退官。
リアル航一さんの定年退官後、リアルトラちゃんとリアル航一さんは毎週日曜日のお寺参りを共通の趣味としていました。
定年退官後のリアルトラちゃんのプライベート
リアルトラちゃんが定年退官したのは昭和54年。
リアルトラちゃん65歳のときでした。
そのときリアル航一さんも定年退官していました。
それまで、地方への異動などで別居することが多かった二人は、それまでの時間を取り戻すかのように、国内外を旅してまわ離ました。
日本国内では、北から順に新潟、金沢、甲府、福山、萩、高松。
これら訪問地の中で新潟と甲府は、リアルトラちゃんとリアル航一さんのお二人が、裁判所長として勤務したことがある思い出の地でした。
一方、国外は中国、フランス、デンマーク。
そして、リアルトラちゃんの出生地であるシンガポールも旅をしました。
しかし、その一方でリアルトラちゃんが定年退官したころは、リアル航一さんが体調を崩した時期でもありました。
定年退官後の法律家としてのリアルトラちゃんの活動
定年退官した翌年の昭和55年、リアルトラちゃんは弁護士登録をしました。
しかし弁護士登録をしながらも弁護士として活動はほとんどしなかったと言われています。
何故なら、要職の就任依頼が相次ぎ、多忙を極めていたからです。
定年退官後にリアルトラちゃんが引き受けた要職は次のとおりです。
・昭和54年:労働省、男女平等問題専門家会議座長
・昭和55年:東京家庭裁判所調停委員兼参与員
・昭和55年:東京少年友の会常任理事
・昭和56年:農山漁家生活改善研究会理事
・昭和57年:東京都人事委員会委員
・昭和58年:労働省婦人少年問題審議会委員
不本意な結果に終わった最後の大仕事
昭和54年に引き受けることになった労働省の男女平等問題専門家会議座長として、リアルトラちゃんは男女雇用機会均等法案を審議。
会議では女性を平等に扱うか、保護する対象として扱うかが議論されました。
リアルトラちゃんが目指したのは「平等」でした。
女性を弱い者として保護するのではなく、男性と同じように働ける環境を整えることをリアルトラちゃんは目指しました。
数々の反対に遭いながらもリアルトラちゃんは報告書を作成。
しかし、その後財界からの強い反発を受け、企業の女性の人事についてはそれぞれの企業努力の範囲内で行うことに。
リアルトラちゃんの願いが実現することはありませんでした。
虎に翼|感想あらすじネタバレトップページ
短い時間で,あまりにも大きな課題が終結を迎える場面でした。寅子さんは、小さな身体で,大きなパワ-を持っている人ですが、時々自分でも訳のわからないことで大声を上げる癖があります。そこが,優三さんの言っていた,「ダメ」なところでしょうか。でも,彼女に捲し立てられると,誰も反論できない程,圧倒させられます。あの穂高教授さえも。私なら、側にいるのはかなりしんどい,と思うでしょう。航一さんは,その寅子さんを妻にして、しかも冷静に自分を保つことができる、珍しい人だと思います。昨日,今日,出番がなく,残念でした。
尊属殺人事実上の勝訴。ここの所反動化してた桂場さんにしては珍しい大岡裁き。寅子さんの忠告。こういう親になりたかったなあ。「やっぱり?」なんで?