あんぱん

あんぱん 最終週/第26週「愛と勇気だけが友達さ」予習レビューとあらすじ

NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『あんぱん』
2025年9月22日 〜 9月26日放送

あらすじ

「ばいきんまん」

昭和51年(1976年)。ミュージカルが盛況のうちに終わる中、嵩はアンパンマンに足りないものに気がつきました。それは悪役でした。

嵩は『アンパンマン』に登場する悪役キャラクターとして、バイキンをモチーフにした「ばいきんまん」を生み出しました。

昭和53年(1978年)。嵩はキャラクターづくりの才能を発揮。新たなキャラクターを次々と生み出し、子供たちを夢中にさせました。

テレビプロデューサーの武山恵三

昭和60年(1985年)8月。テレビプロデューサーの武山恵三が嵩を訪問し『アンパンマン』のテレビアニメ化を提案。

しかし嵩は、以前テレビアニメ化の話が浮上した際、テレビ局側から内容の改変を求められたのに懲り、武山の提案を拒否しました。

しかし武山の『アンパンマン』への愛情を知ったのぶに背中を押され、嵩は『アンパンマン』のテレビアニメ化を受け入れました。

『アンパンマン』のテレビアニメ化

昭和63年(1988年)10月3日午後5時。テレビアニメ『アンパンマン』の放送が開始され、予想を大きく上回る視聴率を記録しました。

嵩の事務所がますます忙しくなる中、のぶの病気が発覚。手術は成功するものの余命数ヶ月と宣告されました。

のぶと嵩は一緒に過ごせるわずかに残された時間を大切に過ごそうと心に決めました。ところがのぶは・・・

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最終週/の展開

126: 9/22(月) 高知旅行をするのぶたち
127: 9/23(火) バイキンマンが誕生する
128: 9/24(水) アンパンマンのアニメ化
129: 9/25(木) テレビアニメ放送される
最終回/130: 9/26(金) のぶが退院する

予習レビューと史実のリアルエピソード

『アンパンマン』が誕生した15年後の昭和63年(1988年)10月。

テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放送が始まりました。

『アンパンマン』が誕生してから人気作品となるまで順調ではなかったように、『アンパンマン』のテレビアニメ化も困難続きでした。

以下に『アンパンマン』のテレビアニメ化までの経緯をまとめました。

没になったテレビアニメ化の話

幼稚園や保育園に通う子供たちの間で『アンパンマン』をテレビアニメ化したという話が、リアル嵩くんのもとに持ち込まれるようになりました。

話を持ち込んでくるテレビ局の担当者はみな真剣でした。

しかし、作り上げた企画を担当者が提出すると上層部はその企画を没にする。

そんな繰り返しが続きました。

子供たちの間では大人気になっていた『アンパンマン』ですが、大人の理解はいまだに得られていませんでした。

『アンパンマン』のテレビアニメ化の話はNHKからも持ち込まれることがあったそうです。

『アンパンマン』は最終選考の二作品のうちの一作品まで残りました。

しかし、最終的に選考されたのはアレクサンドル・デュマの『ダルタニヤン物語』をモンキー・パンチが翻案した『アニメ三銃士』。

ちなみに『三銃士』はその後、三谷幸喜氏の脚色でテレビ人形劇『新・三銃士』としても放送。

この『新・三銃士』の声優の一人は、ドラマの中の薪先生こと戸田恵子さん。

さらに、ドラマの中の嵩くん美術学校時代の恩師・座間先生を演じた山寺宏一さんも声優の一人でした。

『アンパンマン』テレビアニメ化の課題

何度も企画が出ては没にされることを繰り返してきた『アンパンマン』ですが、何度没にされてもあきらめない人物が一人だけいました。

日本テレビのプロデューサー・武井英彦氏です。

武井氏の息子さんが通っている幼稚園でも『アンパンマン』は大人気でした。

武井氏は『アンパンマン』について調べ抜きました。

そして『アンパンマン』にどれほどの人気があるのかを知り抜いていた武井英彦氏は、『アンパンマン』をテレビアニメ化すればヒットするという確信がありました。

一方で『アンパンマン』のテレビアニメ化の課題も武井氏は理解していました。

アニメは多額の制作費がかかる。

その一方で幼稚向け番組はスポンサーが集まりにくく、アニメ制作に必要な資金が集まらないという課題です。

そこで武井氏は日本テレビの子会社に声をかけ資金集めに奔走。

また、かねてより『アンパンマン』に注目していたアニメ製作会社からの出資を得ることができました。

こうして『アンパンマン』のテレビアニメ化は実現の運びとなりました。

『アンパンマン』の放送開始

『アンパンマン』の放送は東京、千葉、埼玉、神奈川のみ。

放送時間帯は、何をやっても視聴率が2%しか取れないと言われた月曜日の17時。

そんな中で始まったテレビアニメ『アンパンマン』の放送が始まったのは昭和63年(1988年)10月3日。

視聴率が2%をわずかに超える3%いけば十分だと期待されない中で始まった『アンパンマン』初回の視聴率は7%。

その後も視聴率は上がり続け、半年間だけの放送予定で始まった『アンパンマン』は、30年以上続くロングランとなりました。

また、放送翌年には文化庁の「子供向けテレビ優秀作品」に選定。

放送エリアも拡大されました。

その一方で、リアル嵩くんの故郷の高知では放送されませんでした。

スポンサーがつかなかったのです。

そこでリアル嵩くん自らが高知での放送のスポンサーとなり、高知でも『アンパンマン』が放送されるようになりました。

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POSTED COMMENT

  1. 名乗るほどの者ではない より:

    バイキンマン
    ドラマで校長演じていた声優・中尾さんの「ドラゴンボール」フリーザと並ぶ代表キャラ
    因みにワイ世代は中尾さんといえば「あしたのジョー」カーロス・リベラなんだよね、カモン、ジョーヤブキィ!レッツダァンス!
    因みにカーロス・リベラもフリーザもジョーや悟空と死闘後にホセ・メンドーサや未来トランクスにボロ負けしてリタイアしてんだからアンパンマンに何度もパンチ食らってぶっ飛ばされても立ち向かってくるバイキンマンって凄えなあと、そう考えたらバイバイキーンという捨て台詞にはかなり余裕があるんだろうと

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