2025/8/20(水)第21週「手のひらを太陽に」
あらすじ
ある日、健太郎は嵩にテレビ出演を依頼。健太郎の依頼を嵩は一度は断りました。しかし、健太郎に押し切られて頼みを引き渋々受けた嵩は、NHKの『まんが教室』という生放送番組に出演することになりました。
そして迎えた初めてのテレビ出演当日。漫画の先生として出演した嵩は緊張しながら生放送に挑みました。のぶがテレビの前で見守る中、絵描き歌が始まって早々にミスをした嵩は激しく動揺。しかし、その番組はやがて人気番組になりました。
そんなある日、羽多子が高知から康太を連れて柳井家にやってきました。康太は朝田パンの店の跡を借りて食堂を開くことを希望。羽多子と康太はその相談も兼ねて、二人して高知からやって来たのです。
康太が食堂を開くことをのぶと嵩は賛成。康太はその食堂を「たまご食堂」と名付けるつもりだと言い、戦地でゆで卵を食べさせてもらった思い出を語りました。そして康太は、あの時の恩返しを「たまご食堂」でするつもりだと語りました。
最終週/第26週
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感想
『手のひらを太陽に』が大ヒットして、一躍注目の作詞家になったり。
テレビ番組に出演して子供たちに大人気の漫画の先生になったり。
このところ嵩くんは、肝心の漫画は売れないながらも、何かとにぎやかです。
嵩くんの環境があまりにも激変するので、その陰に隠れがちですがのぶちゃんが実は深い苦悩の中にあるようです。
のぶちゃん振り返り
のぶちゃんが幼い頃に結太郎さんのひざの上で東京に行ってみたいと言った夢。
あの夢は叶えられたけれど、幼いのぶちゃんがその場の思いつきで言った夢で、夢とは呼べないような夢です。
のぶちゃんが「夢」として目指したのは、体育の先生になった体操の楽しさを子どもたちに教えること。
その夢は、戦争で頓挫。
「間違ったことを子どもたちに教えてしまった」後悔から夢は悪夢になりました。
その悪夢から目覚めるために次に夢見たことは、薪先生のもとで逆転しない正義を探すことでした。
のぶちゃんは信じていました。
同じような志を抱いている薪先生の下で働いていれば、逆転しない正義は見つかるだろうと。
ところが薪先生自身が「逆転」してしまいました。
そして「逆転」した薪先生から解雇を言い渡されてしまったのぶちゃん。
薪先生のもとで逆転しない正義を見つけるという夢も頓挫しました。
のぶちゃんが薪先生に解雇されてからしばらくの間、嵩くんは仕事がありませんでした。
だからのぶちゃんは嵩くんを支えるために必死でした。
会社勤めの後に八木さんのお店を手伝うまでして、必死になって嵩くんを支えていました。
嵩くんを支えることに必死だったので、自分は何を目指しているのか、自分はどんな大志を持ったらいいのか。
そんなことを考えている余裕などなかったものと思われます。
忙しい日々の中で自分を振り返るヒマなどなかったわけですが、それはある意味でのぶちゃんには幸福だったのかもしれません。
しかし『手のひらを太陽に』をきっかけに嵩くんは仕事に困らないようになりました。
それと前後してのぶちゃんは会社を解雇されました。
それものぶちゃんのような性格や考え方の持ち主の女性にとっては理不尽極まりない理由によって。
そして、のぶちゃんは自分のことを考えるようになりました。
我が身を振り返ってみたのぶちゃんは・・・
今回ののぶちゃん
今回、のぶちゃんは言いました。
お父さんが亡くなって以来、お母さんはパンを焼きながら娘三人を育ててすごい。
蘭子ちゃんは厳しい東京で筆一本で生きていてすごい。
フワフワしていたメイコちゃんもしっかり者のお母さんになった。
でも自分は?
昨日あたりから描かれ始めたのぶちゃんの苦悩が今日また少しだけ深くなりました。
ところで今週の最後に、ついにアンパンマンの原型が登場するようです。
アンパンマンの原型が登場するのを機に、のぶちゃんが自分が生きる次の道を見出すことができるといいのですが。
本作の主人公はのぶちゃんなのだから。
予習レビューと史実のリアルエピソード
八木さんが会社を設立
今週、八木さんが会社を設立します。
時代は高度経済成長期の真っ只中、人々の暮らしにゆとりが出てきたころです。
それまでの食べるのがやっとの時代を経て、レジャーを楽しむゆとりが出てくる中、レジャーブームのニーズに応じる商品を八木さんの会社は取り扱うようです。
具体的に取り扱う品目で今のところ判明しているのはビーチサンダル。
今の時代、ビーチサンダルを売ってどうなるの?とうい気もしますが、当時はビーチサンダルだけでも商売が成り立ったのでしょうか。
ちなみに八木さんの会社の社名は「九州コットンセンター」です。
社名に「九州」という地名が入っていますが、今週も八木さんは東京にいる様子。
故郷の地名を社名につけただけかのか。
あるいは故郷の名産品を取り扱う会社であることを示すために「九州」という地名をつけたことも考えられます。
ところで、八木さんの会社設立という展開。
いきなりのような気もしますが、終戦直後に八木さんがやっていたことを振り返ってみれば、ごく自然な展開なのかなとも思います。
終戦直後の八木さん振り返り
戦後に入ってのぶちゃんや嵩くんは東京へ取材旅行。
その際、嵩くんは有楽町のガード下で八木さんと再会しました。
その時に八木さんがやっていたことは闇酒の製造販売でした。
八木さんの周囲の人々の話によれば、闇酒の製造販売によって八木さんは相当な額のお金を稼ぎ出したらしい。
もっとも稼いだお金は孤児たちを食べさせるために使い切ってしまったようですが。
八木さんの周囲の人々は「荒稼ぎ」という言葉も使っていたと記憶しています。
この言葉から、八木さんにはかなりの商才があることがわかります。
八木さんは学のあるエリートです。
だから就職しようと思えば働き口は見つかったはずです。
しかし就職ではなく、危なっかしい橋を渡りながらも自営の道を選択。
そんな人が会社を設立するのは自然の成り行きというものでしょう。
ちなみに八木さんが製造販売していた「カストリ」とは、終戦直後の闇市に出回っていた密造酒の呼称です。
語源は「粕取り焼酎」。
高度経済成長期のビーチサンダルと同様、終戦間際には飛ぶように売れたようです。
八木さん、目の付け所が鋭い人物のようです。
【史実】リアル八木さんの会社設立
ドラマの中の八木さんは「九州コットンセンター」という会社を設立しました。
このエピソードのモチーフになっているのは、辻信太郎氏が設立した「山梨シルクセンター」です。
史実の「山梨」は「九州」に。
史実の「シルク」は「コットン」に差し替えられています。
八木さんのモチーフとなった辻信太郎氏は、戦後、山梨県庁に就職し県庁勤めを約10年続けます。
その後、県庁の外郭団体で山梨県の特産品である絹製品を取り扱う「山梨シルクセンター」を株式会社にして独立。
辻信太郎氏が「山梨シルクセンター」の経営に携わるようになってからは、山梨県産の絹製品だけでなく様々な商品を取り扱うようになりました。
そんな中で「山梨シルクセンター」はキャンディの容器を不二家から受注。
不二家から受注した容器のデザインの依頼を辻信太郎氏が依頼した相手がリアル嵩くんでした。
リアル八木さんこと辻信太郎氏とリアル嵩くんとの交流はこの時から始まりました。
それから月日が流れること昭和48年(1973年)、「山梨シルクセンター」は社名を「サンリオ」に改めました。
「ハローキティ」の「サンリオ」です。
ドラマのクライマックスでは、あの無愛想な八木さんが可愛いネコのキャラクターを取り扱うことになるのでしょうか。
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