あんぱん

のぶが会社を解雇される / あんぱん 第102回

2025/8/19(火)第21週「手のひらを太陽に」

あらすじ

勤めていた会社をクビになったのぶは、そんなに落ち込むなと登美子に励まされました。

のぶは嵩に登美子の近況を報告。

登美子に会いに行くよう嵩にすすめるものの、嵩は登美子に会いに行く気にはなれませんでした。

そんな嵩にのぶは言いました。

自分が一番嬉しいのは嵩が好きな漫画を描いてくれることだ。

しかし、漫画を描くなっていた今の嵩にとってのぶの言葉は胸に刺さる言葉でした。

一方、蘭子の映画評を読んだ八木が、蘭子に厳しい指摘をしました。

蘭子の映画評には愛がないと言う八木の言葉に腹を立てた蘭子は・・・

参考:地デジ番組表

<<前回101回 | 次回103回>>

第21週 | 第22週 | 第23週
あんぱん|感想あらすじネタバレトップページ

Sponsored Link

鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

まずは前週の振り返り

まずは前週の後半の振り返りから。

前週の後半、嵩くんはミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術を手がけました。

この仕事を嵩くんに依頼したのは六原永輔。

そして嵩くんを六原永輔に紹介したのはたくやくんでした。

そしてミュージカルは大ヒット。

六原永輔とたくやくんは大喜びでした、どうやら嵩くんは素直に喜べないらしい。

それもそのはず、嵩くんは漫画家として売れることが目標です。

舞台美術は本業ではありません。

ミュージカルの大ヒットにより嵩くんの舞台美術も高く評価されるようです。

しかし、漫画家としは売れない。

嵩くんとして不本意な状態のままです。

そんな中で、たくやくんが今度は嵩くんに作詞の依頼。

嵩くんの言葉の才能を見込んでのことなのでしょう。

しかし嵩くんは作詞の依頼を拒否。

漫画家として売れないまま漫画以外の仕事をすることが嫌なのでしょう。

ところが漫画家として売れない嵩くんを支えるために、のぶちゃんが仕事を掛け持ちしていたことが発覚。

嵩くんがのぶちゃんに謝罪している時、ひらめいた歌詞が『手のひらを太陽に』でした。

前週はここで終わりです。

『手のひらを太陽に』が大ヒット

一度は断ったものの、たくやくんの依頼で作詞した『手のひらを太陽に』は、子供向けの歌番組『みんなのうた』で紹介され大ヒット。

また、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台美術が高く評価されたこともあり嵩くんのもとには様々な仕事が舞い込むように。

ただし今週、嵩くんが引き受ける仕事はショーの構成や舞台美術など。

残念ながら漫画以外の仕事ばかりのようです。

それでも前週に、のぶちゃんに苦労をかけていたことを知った嵩くんは、これ以上のぶちゃんに苦労をかけないように頼まれた仕事を次々と引き受けるように。

そして嵩くんの収入だけで家計を維持できるところまでになるのが今週です。

一方、かつて薪先生の事務所を解雇され、その後は会社勤めを続けていたのぶちゃんは、今度は会社を解雇されてしまう。

でも、嵩くんの収入だけで食べていけるようなので、お金のことについてはもう安心して良さそうです。

【史実】『手のひらを太陽に』

三越をやめて独立してから8年が経過した昭和36年(1961)年、リアル嵩くん42歳。

漫画家として売れない日々が続いていました。

自分は漫画家として売れないまま終わってしまうのか。

不安な気持ちでいっぱいのリアル嵩くんは、子供のころによくやっていた「レントゲンごっこ」をしました。

「レントゲンごっこ」とは懐中電灯で手のひらを透かし手の中の血流を浮かび上がらせる遊びです。

「レントゲンごっこ」をしたリアル嵩くんは、気持ちは落ち込んでいても手のひらには真っ赤な血が流れているを見て、自分は生きていることを時間。

このときの感動を謳ったのが『手のひらを太陽に』でした。

『手のひらを太陽に』は、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の仕事がきっかけとなって親しくなったリアルたくやくんが作曲。

昭和36年(1961)年、民放のテレビ局が『てのひらを太陽に』を初めて放送。

その翌年の昭和37年(1962)年、『てのひらを太陽に』はNHKでも放送され、放送後に発売されたレコードは大ヒットしました。

<<前回101回 | 次回103回>>

第21週 | 第22週 | 第23週
あんぱん|感想あらすじネタバレトップページ

コメントを残す