本放送:2011年12月26日(月)
再放送:2014年6月30日(月)
再々放送:2024年12月16日(月)
第13週「生きる」
花言葉の花「マリーゴールド」
あらすじ
昭和19年(1944年)12月、空襲はじまりました。明けて昭和20年1月3日、糸子は娘たちを連れて神戸の松坂家を訪問。清三郎は糸子を千代と勘違い、善作につらく当たったことを仏前で詫びて欲しいと言い出し糸子を驚かせます。
姫路にある避暑のための山荘に疎開することを糸子に告げる貞子。しかし従兄弟の勇は工場の支配人という肩書きで招集を免れているため神戸から離れるわけにはゆかないといいます。糸子の帰り際、貞子は生き延びろと糸子を励ますのでした。
ちょうどその頃、大阪に初めての焼夷弾が落とされたことで、防火訓練が盛んに行われるようになってきました。そして3月10日には東京、3月12日には名古屋が空襲にやられ、次いで3月14日の夜にはついに岸和田にも空襲警報が響き渡ります。
糸子は家族や縫い子を叱咤しながら防空壕に避難させます。家の者全員が防空壕に見届けて自分も避難をはじめる糸子。善作の位牌と遺影を持って来るのを忘れたことに気がつく糸子ですが「縁があったらまた会おな」とそのまま防空壕に向かうのでした。
感想
清三郎おじいちゃんがついにぼける。でもこれからはじまる困難な時代にぼけてしまったのはもしかすると幸福だったかもしれません。
記憶がもどったり消えたり。記憶のまだら状態の中、その日、糸子の問いかけに糸子の年齢はだいたいわかったようですが、糸子を千代と勘違いしたみたいです。糸子のことを「千代!」と呼ぶ清三郎おじいちゃん。
「千代!」と呼ばれた糸子もノリが良い。千代お母ちゃんそっくりのとても上手な物まねをしながら清三郎おじいちゃんの傍へ。でも「千代」に語りかける清三郎おじいちゃんの言葉が切ないことこの上ない。
「善作君には悪いことした。自分も貧しい丁稚だった、それを松坂の父が見込んでくれ、貞子の婿まで引き上げてくれた。そんな懐が自分にはなかった、甲斐性がないというだけであんな気のいい男につらくあたってしまった。今日家に帰ったら仏前で松坂の父が許してくれと言っていたと伝えてくれ」
ぼける前、口には出せずに胸に秘めていた公開の念がぼけて箍が外れたことで吹き出してきたのか。それともぼける前からこんなことを言い始めていたのか。糸子の縁談が出たあたりから善作お父ちゃんと清三郎おじいちゃん、すっかり仲良しになっていたので、少なくともこの頃から後悔しはじめていたのでしょう。
一方で貞子おばあちゃんは実にしっかりしています。糸子との別れ際に「あんた生き延びや」力強い一言でした。話しが前後してしまいますが、優子と直子のおせちの栗の取り合いバトルに心癒されました。糸子も幼い頃同じことをやってましたね、やっぱり血は争えません。
さて、ついに空襲。3月10日東京、3月12日名古屋。そして3月13日夜、ついに大阪に。縫い子の一人がパニック状態に陥り、その子を玄関先で待つ糸子の落ち着き払った様子、あの度胸の座り方って・・・。
でも慌てて逃げ出したばかりに大切な忘れ物。善作お父ちゃんの位牌と遺影です。取りに戻るのかとばかり思っていたら「堪忍やお父ちゃん、縁があったらまた会おな」こんな時にも冷静な糸子でした。