なみの身請けの話が浮上 / ばけばけ 79回
2026/1/22(木)第16週「カワ、ノ、ムコウ。」
あらすじ
「ヘブン先生日録」による度の過ぎた盛り上がり方が錦織と江藤は心配でした。
そんな中で江藤は、ヘブンを受け入れる松江の人々の様子を見て、錦織にある提案をしました。
一方、なみに身請けの話が浮上しました。
遊郭を出て天国町からも脱出する機会を得たものの、なみは一歩を踏み出せずにいました。
すると、その数日後になみのもとに思いがけない人物が訪ねてきました。
なみの身請けを申し出た福間がやって来たのです。
参考:Yahoo!テレビ
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
前回の本欄では小泉セツさんとラフカディオ・ハーンが結婚後に移住した熊本時代についてまとめました。
今回の本欄では神戸時代についてまとめます。
なお今週の本欄はドラマのクライマックに向けた予習のため、小泉セツさんとラフカディオ・ハーンの結婚後の史実を以下の通りにまとめています。
火曜日:熊本時代・前編
水曜日:熊本時代・後編
木曜日:神戸時代
金曜日:東京時代
熊本からの離別
ラフカディオ・ハーンが熊本を離れる決断をしました。
その背景には、いくつもの理由が重なっていました。
信頼していた校長が転出したこと、同僚との関係が悪化していったこと、そして自ら提案した新しい教科書づくりが却下されたこと。
こうした出来事が続き職場での居心地が次第に悪くなっていったのです。
ラフカディオ・ハーンは英語教師として契約を更新することはやめました。
そしてラフカディオ・ハーンは、熊本を離れまったく新しい環境に身を置くことを選びます。
すでにラフカディオ・ハーンは、神戸の英字新聞社「神戸クロニクル」に就職したいと考え、前もって就職依頼の手紙を送っていました。
その返事が届き入社が決まったのです。
こうしてラフカディオ・ハーンは、熊本の英語教師としての生活に終止符を打ち、新たな職に就くために神戸へ向かいました。
熊本で過ごした日々には多くの葛藤がありましたが、彼にとって大切なのは家族を守り新しい可能性を切り開くことでした。
しかし、神戸での生活も決して順調なものではありませんでした。
神戸に着くと、まず外国人居留地で生活しなければなりませんでした。
日本の市井の人々とともに暮らすことを好んでいたハーンにとって、外国人が集まる居留地で暮らすことは大きな苦痛でした。
さらに、新聞記者の仕事もラフカディオ・ハーンにとっては今さら戻りたい仕事ではありませんでした。
熊本を去り神戸へ向かう決断は簡単なものではありませんでした。
けれどもラフカディオ・ハーンは自分の人生を前に進めるために、そして大切な家族を守るために、その一歩を踏み出しました。
こうしてラフカディオ・ハーンの新しい章が神戸の地で始まることになります。
神戸での生活
神戸での生活は、ラフカディオ・ハーンにとって楽なものではありませんでした。
外国人居留地で暮らす生活の中、気持ちの上で落ち着ける場所をなかなか見つけられず、さらに新聞記者の仕事にも強い魅力を感じられませんでした。
しかし、この神戸でハーンは人生の大きな節目を迎えることになります。
それが本格的な帰化手続きでした。
当時、同様の事例が非常に少なかったため、帰化の手続きは想像以上に困難を極めました。
帰化の手続きは以下の手順で進められました。
まず小泉セツを松江の小泉家から分家させる。
そして長男の一雄をセツが戸主となる小泉家へ入籍させる。これにより、
次に、ラフカディオ・ハーンの帰化について、セツが兵庫県の職員から聞き取り調査を受けました。
その上でラフカディオ・ハーン本人が「小泉八雲への入夫願い」という書類を兵庫県知事に提出。
この書類の提出によってラフカディオ・ハーンが正式に小泉家に入る意思を示した形になりました。
その翌年、ラフカディオ・ハーンは県知事の求めに応じ、英国領事の前で天皇への忠誠と日本の法律を守ることを宣誓。
この宣誓を経て入夫願いが受理、
明治29年(1896年)2月、ラフカディオ・ハーンの帰化が認められました。
ラフカディオ・ハーンの帰化に伴いセツとの正式な結婚が成立。
ラフカディオ・ハーン本人は日本国籍を得て日本人となりました。
セツと一雄はこれまで通り日本国籍のままです。
長い煩瑣な手続きを経てラフカディオ・ハーンの願いは叶い、家族は法律的にも「正真正銘の家族」となりました。
ラフカディオ・ハーンはさらに、日本名を決める必要もありました。
セツをはじめ稲垣家の家族が集まって相談し、さまざまな案が出されました。
最終的には、稲垣万吉の祖父にあたる須佐之助が詠んだ、日本最古の和歌に使われる出雲の枕詞「八雲」が選ばれました。
この瞬間、ラフカディオ・ハーンは名実ともに「小泉八雲」となったのです。
帰化を終えた小泉八雲は、新聞記者として政治や文化を題材に鋭い意見を発表しました。
特に「地震と国民性」では、日本の自然災害の多い風土が「更新の文化」をつくりあげたと述べ、風土が人間に与える影響を深く論じています。
神戸での生活は苦労の連続でしたが、その中で小泉八雲は法律上でも認められた家族を得、日本人としての名前を得、新しい人生を歩み始めたのです。
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