NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ブギウギ』
2023年12月4日 〜 12月8日放送
あらすじ
「福来シヅ子とその楽団」結成
昭和16年(1941年)春。りつ子の覚悟に刺激を受けたスズ子は梅丸楽劇団を退団して独立。「福来シヅ子とその楽団」を結成しました。
しかし、スズ子は敵性音楽を歌っているという評判がたち、「福来シヅ子とその楽団」はその年の12月になっても公演ができずにいました。
そんな中、六郎が戦死した知らせが入りました。六郎の死をスズ子と梅吉が深く悲しむ中、12月8日に日本は米英と戦闘状態に入りました。
香川に帰ると言い出す梅吉/羽鳥の提案
六郎の戦死の知らせを受けて以来、ふさぎ込みがちだった梅吉が生まれ故郷の香川に帰ると言い出しました。幼馴染みから工場を手伝ってほしいと言われたのです。
梅吉は故郷でしか自分は立ち直れないと考えていました。しかし、そんな梅吉の気持ちをスズ子は察することができずにいました。
そんなある日、羽鳥がスズ子とりつ子を自宅に招きました。二人が自由に歌えないことに憤慨する羽鳥は、スズ子とりつ子の合同コンサートを提案しました。
スズ子とりつ子の合同コンサート
そして迎えたスズ子とりつ子の合同コンサートの日。りつ子が歌う『別れのブルース』と『雨のブルース』は観客だけでなく警察官たちをも圧倒しました。
トリをつとめたスズ子は戦場で散った六郎への想いを込めて『大空の弟』を熱唱。観客たちはスズ子の歌に沸き立ちました。
コンサート後、梅吉は香川で立ち直りたいという気持ちをスズ子に告げ、スズ子は梅吉の気持ちを受け止めました。ほどなくして梅吉は香川へと旅立って行きました。
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今週の展開
46: 12/4(月) スズ子が自らの楽団結成
47: 12/5(火) 六郎戦死の知らせが届く
48: 12/6(水) 梅吉が香川に帰ると宣言
49: 12/7(木) スズ子と茨田の合同公演
50: 12/8(金) 梅吉が故郷の香川へ帰る
予習レビューと史実のリアルエピソード
「笠置シヅ子とその楽団」
実在人物・企業名 | 劇中人物・企業名 |
笠置シヅ子 | スズ子 |
亀井音吉 | 花田梅吉 |
服部良一 | 羽鳥善一 |
淡谷のり子 | 茨田りつ子 |
東宝への移籍騒動も収束し、松竹に留まることになった笠置シヅ子さんはその後も松竹楽劇団(SGD)の舞台に立ち続けました。
しかし日本と米国の対立が悪化する中、松竹楽劇団(SGD)の米国的なレビューは逆風にさらされることに。
松竹楽劇団(SGD)はわずか3年で解散。
最後の公演は昭和16年(1941年)1月に行われた『桃太郎譚』でした。
退団と独立
松竹楽劇団(SGD)が解散する前年暮れ、昭和15年(1940年)に笠置シヅ子さんは松竹楽劇団(SGD)を退団。
そして独立の準備を始めました。
その頃、笠置シヅ子さんは東京・三軒茶屋に転居。
大阪で一人暮らしをしていた父の音吉さんを三軒茶屋に呼び寄せ、昭和16年(1941年)1月から、父と娘の二人暮らしを始めています。
同じころに笠置シヅ子さんは自分の楽団「笠置シヅ子とその楽団」を結成。
楽団結成にあたっては服部良一氏が尽力。
「笠置シヅ子とその楽団」の旗揚げ公演は四国で開催しました。
笠置シヅ子と淡谷のり子の合同コンサート
実在人物・企業名 | 劇中人物・企業名 |
笠置シヅ子 | スズ子 |
淡谷のり子 | 茨田りつ子 |
服部良一 | 羽鳥善一 |
ドラマの中で描かれるスズ子とりつ子の合同コンサートは実際に行われました。
服部良一氏のプロデュースによって、笠置シヅ子さんと淡谷のり子さんの共演によるコンサートが邦楽座で開催。
コンサートのタイトルは『タンゴ・ジャズ合戦』。
東京でも「笠置シヅ子とその楽団」のデビューを飾ることができました。
しかし、このころより笠置シヅ子さんは当局から「敵性歌手」として目をつけられるようになりました。
そこで、活動に制限のかかる東京を離れ、笠置シヅ子さんは地方巡業を積極的に行うように。
そして地方巡業の中で笠置シヅ子さんは運命の出会いを経験します。
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