ブギウギ

タナケン映画に出演する / ブギウギ 第97回

2024/2/19(月)第21週「あなたが笑えば、私も笑う」

あらすじ

昭和24年(1949年)夏。『東京ブギウギ』に続いて発売された『ジャングル・ブギー』もヒットし、スズ子の日常は仕事と育児でますます忙しくなっていました。そんな中、体調が回復したタイ子がスズ子のもとを訪れて来ました。

そのときタイ子は、ある決断を下していました。タイ子は生まれ故郷の大阪に帰り、一からやり直すと決めていました。タイ子は旅館の女中として働くつもりで、タイ子の下した決断をスズ子は喜んで受け入れました。

一方、羽鳥は『青い山脈』が大ヒットし売れっ子の作曲家になっていました。同じころスズ子は、タナケンが主演する映画への出演が決定。撮影が始まると、スズ子は愛子を撮影現場に連れて行きました。

しかし、やんちゃな愛子は撮影中にある事件を起こしてしまいました。楽屋で転倒した愛子が額にケガをし病院に運ばれてしまったのです。その騒動によって、映画の撮影は休止になってしまいました。

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感想

昭和23年春から昭和24年夏へ

今週は昭和24年夏からスタート。

タイ子ちゃんはすっかり元気になったようです。

タイ子ちゃんの病気が回復するまでにどれくらいの時間が経過したのかを整理してみました。

「福来スズ子ワンマンショー」で『東京ブギウギ』が披露されたのが昭和23年1月。

そして『東京ブギウギ』が大ヒットし、三流ゴシップ誌の記者がスズ子ちゃんのことを取材に来ました。

その際、記者が持参した雑誌の表紙には「3月下旬鑑」とありました。

ほどなくして、スズ子ちゃんの取材をした記事が掲載された雑誌が発売。

その記事を読んで激怒して楽屋に乗り込んできたおミネさんが手にしていた雑誌の表紙には「4月上旬鑑」とありました。

その直後にスズ子ちゃんはタイ子ちゃんと再会。

なのでスズ子ちゃんとタイ子ちゃんが再会したのは昭和23年春。

今回は昭和24年夏なので、あれから1年3ヶ月ほどが経過したことになります。

1年3ヶ月ほどの間で、タイ子ちゃんはスズ子ちゃんの助けを借りて、体調を回復したものと思われます。

『青い山脈』

前週、羽鳥先生が「青春群像劇の主題歌」に頭を悩ませていましたが、この「青春群像劇」が映画『青い山脈』と思われます。

その往年の名曲がついに登場しました。

ところで羽鳥先生の実在モデル服部良一は『東京ブギウギ』のリズムが降りてきたのは中央線の車内だったと書き残されています。

そのときの様子はドラマの中でも再現されました。

一方『青い山脈』のリズムが降りてきた瞬間も書き残されています。

その瞬間が訪れたのは服部良一氏が省線(国鉄)で梅田から京都へ向かったときのこと。

買い出しの客で満員の車窓からは、快晴の中にくっきりと姿を見せる六甲山脈の連峰。

この「六甲山脈の連峰」から服部良一氏は曲想を得たとのことです。

なお『東京ブギウギ』が降りてきた時には、服部良一は西荻窪駅で下車し駅前の喫茶店で楽譜を書き留めました。

『青い山脈』が降りてきた時には車中でハーモニカの番号をメモ。

車内があまりにも混雑していたため、五線譜を取り出すことができなかったのだそうです。

なお『青い山脈』を主題歌にした同名タイトルの映画『青い山脈』が公開されたのは昭和24年7月19日。

今回は映画『青い山脈』が公開された直後のタイミングと思われます。

茨田りつ子

成長した愛子ちゃんがスズ子ちゃんの悩みの種に。

ちなみに次週の月曜日の段階でも、愛子ちゃんはあることでスズ子ちゃんを困らせる模様。

そんな「愛子ちゃん問題」を解決するのが茨田りつ子のようです。

次回、茨田りつ子が登場します。

今回、茨田りつ子が登場するフラグすら立っていませんでしたが。

そして今週はスズ子ちゃんと茨田りつ子のちょっとした対立も描かれるはずです。

茨田りつ子が大好きなブログ主にとって楽しみな一週間になりそうです。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

喜劇女優としての地位

前週描かれた『東京ブギウギ』のレコーディングが行われたのは昭和22年(1947年)9月10日。

その直後、大阪の梅田劇場で『東京ブギウギ』を初披露。

同年10月、日本劇場の『踊る漫画祭り・浦島再び龍宮へ行く』でも『東京ブギウギ』が歌われ注目を集め、同年12月公開の映画『春の饗宴』の主題歌に。

そして昭和23年(1948年)1月に『東京ブギウギ』のレコードが発売され大ヒットを記録。

その後もブギのリズムを取り入れた曲が次々とヒットし、笠置シヅ子さんは「ブギの女王」と呼ばれるようになりました。

しかし、ブギの女王と呼ばれる1年前には、笠置シヅ子さんは喜劇女優としての地位を確立しています。

笠置シヅ子さんとエノケンは昭和21年(1946年)3月、有楽座の舞台公演『舞台は回る』で初の共演。

ドラマの中でも描かれたこの共演が喜劇女優としての地位を確立するきっかけになりました。

そして喜劇女優としての地位を確立してからの笠置シヅ子さんが初めて出演した映画は、エノケンのライバル・古川ロッパの共演作『浮世も天国』。

昭和22年(1947年)のことでした。

続いて昭和23年(1948年)、笠置シヅ子さんはエノケンとの共演映画『歌うエノケン捕物帳』に出演。

その後も『びっくりしゃっくり時代』『エノケン・笠置のお染久松』などで笠置シヅ子さんはエノケンと共演。

喜劇女優としての地位をより盤石なものとしました。

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POSTED COMMENT

  1. ずんこ より:

    愛子ちゃんは、「チョカ」やなあ!
    ちょこまかと落ち着きなく動き回ってはいろいろやらかす子を、大阪では「チョカ」と言います。
    かく言う私も、チョカでした。
    ふすまを二枚重ねて鉛筆を突き通したり、畳一枚をクレヨンで塗りつぶしたり…
    静かな時にはロクなことをしてない、と言われたものです。
    愛子ちゃんの障子破りを見てみていて、思い出しました。

    家の中ならまだしも、撮影所でまでチョカでは困りますね。
    映画会社の人は明らかに迷惑がっていたし、山下さんだってそろそろ子守りは体力的にきつそうです。

    何か方策を考えなくてはね。
    羽鳥先生のお宅ならお兄ちゃんお姉ちゃんもいるし、麻里さんは子育てベテランだし、愛子ちゃんのためにも良いと思うですけどね。
    スズ子ちゃんが、放したくないんだよね。

  2. 還暦のたつお より:

    ひまじん様。「酔いどれ天使」は、後年の「豚と軍艦」や「仁義なき戦い」などに影響を与えていますね。清順氏の作品は、日活時代の作品の方が好きです。
     やんちゃな愛子さん、障子に穴を開け。タイ子さんすっかり落ち着いて。大阪へ帰るのね。「青い山脈」合唱。ヒットすれば仕事が増える。現場に連れて行くって後々の騒動を思い出す。このころの日本にはベビーシッターなんてなかったろうし。撮影快調、だけど愛子さん負傷。

  3. 名乗る程の者ではないでおま より:

    若く明るい歌声に~♪
    名曲キタ━(゚∀゚)━!
    あの娘可愛やカンカン娘~♪
    これはもう少し後
    オッサン、オッサンこれなんぼ~♪
    こちらは来週の週間タイトルか
    「エール」の世界線では
    高原列車はラララララン~♪の頃で
    伊豆の山々~♪で復活した作曲家が横浜で「娘の曲を聞いてやって下さい」と圧が強い中年女性に押しきられ、後にコンビを組む大スターと初めて会った頃かな?

  4. 丹善人 より:

    蒲田の撮影所ですかな(実際は京都でしょうが)おちょやんとかぶって見えた。
    あちらは戦後はラジオドラマだからかぶることはなかたのだが。

  5. 丹善人 より:

    愛子ちゃん、3歳位ですか。達彦君、まだ5年生かな。
    羽鳥先生の子ども達、大きくなりました。
    子どもが複数なら自分たちで遊んでくれるけれど、
    おそらく、もっとかまってほしいんだろな。やんちゃに育って。
    もっと麿里さんに頼ってもいいのに。変な意地があるのかな。

  6. 名乗る程の者ではないでおま より:

    週間タイトルがスタレビの歌詞っぽいですね、「チャーミング」とか「シュガーはお年頃」に似たようなフレーズがあります
    というか、今更ながら主題歌の「ハッピーブギ」って「シュガーはお年頃」に結構似てますね、あくまでも個人感ですが
    スタレビ、バブル期の頃によく流れてましたね、学生時代にバイト先の有線で聞いたのが耳に残っています、「追憶」とか「トワイライトアベニュー」とか

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