NHK連続テレビ小説(朝ドラ)『ばけばけ』
2026年3月16日 〜 3月20日放送

あらすじ

十年後、東京

ヘブンが日本に帰化してから十年が経ち、トキとヘブンは東京の大久保に居を移していました。

長男の勘太、次男の勲、司之介とフミ、そしてクマとともに一家は穏やかな日々を過ごしていました。

帝国大学の講師

そのころヘブンは帝国大学の教壇に立ち、講師の仕事をしていました。

そして家に帰ると子供たちに英語を教え、そんなヘブンと子供たちをトキは見守る日々を過ごしていました。

ヘブンの悩み

穏やかで幸せな日々を送る一家の暮らしは充実していました。

そんな中で、ヘブンはある悩みを抱えていました。

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今週の展開

116: 3/16(月)
117: 3/17(火)
118: 3/18(水)
119: 3/19(木)
120: 3/20(金)

予習レビューと史実のリアルエピソード

前週から十年スキップし、今週と来週は物語の舞台は東京に移ります。

史実での小泉八雲とセツの東京での暮らしはどのようなものであったのか。

以下にご紹介します。

転居の理由と新居づくり

明治35年(1902年)、52歳になった小泉八雲と34歳のセツは、豊多摩郡大久保村(現在の新宿区大久保)に転居しました。

このころには三男の清も生まれており、家には女中や書生も数名いて、家族はさらににぎやかになっていました。

転居に踏み切った理由のひとつには、旧居周辺の環境の変化がありました。

住み始めた頃、小泉八雲が愛していた庭には杉や欅などの古木が立ち並び、静かな寺院の境内が隣接していました。

しかしある時、杉の古木三本が切り倒されてしまいました。

さらに住職が老僧から若い僧へと代わると、樹木の伐採はさらに続けられました。

墓が取り払われ貸家が建てられるなど、風情ある環境は次第に姿を失っていきました。

こうした変化に小泉八雲は深く失望。

この家に長く住み続けることが難しいと感じるようになりました。

そんな小泉八雲の気持ちを察したセツは、もっと落ち着いて暮らせる新しい家探しを開始。

そのころ小泉八雲は「庭の広い小さな家に住みたい」という希望を語っていました。

そこでセツはその願いを叶えるべく奔走し、見つけたのが西大久保の屋敷でした。

セツはさらに、借家住まいではなく自分たちが自由に暮らしやすい一軒家を建てたいと考えていました。

小泉八雲にその思いを伝えると、小泉八雲は「普請の一切をまかせる」とセツに任せてくれました。

最初の頃、小泉八雲は冗談半分に「出雲に家を建てたい」などとも言っていましたが、最終的にはこの大久保の屋敷を買い、建て増しして住むことになりました。

新しい家づくりにセツはそのすべてに力を注ぎました。

「体を壊さないように」と小泉八雲が心配するほど、セツは熱心に家づくりに取り組みました。

もともと節約上手でやりくりの得意なセツは、十分な資金も持っており限られた中で最適な形をつくろうと努力しました。

小泉八雲が望んだのは、

「冬の寒さに困らないようにストーブのある部屋がほしい」
「書斎の机は西向きが良い」
「万事日本風に」

という、いくつかのこだわりだけでした。

それ以外はすべてセツに任せていました。

それだけ小泉八雲はセツの判断を信頼していたのです。

引っ越しの日、裏の竹藪からは鶯の声が響き、新生活の始まりを祝福するかのようでした。

この新居は、八雲と家族にとって新しい暮らしを築く大切なスタート地点となったのです。

家族と過ごす時間

東京での生活で小泉八雲にとって重要だったのは教育者としての活躍や著述家としての活動だけではありませんでした。

小泉八雲にとってもうひとつ重要だったのは、家庭の中で育まれた「創作のリズム」でした。

小泉八雲は日本の怪談や奇談を集めそれを小泉セツに語ってもらい、その語りを基に再話として再構築する作品を作りたいと考えていました。

小泉セツの語り口が八雲の創作意欲を刺激し小泉八雲の文学世界を豊かにしていったのです。

毎日、夜になると小泉八雲は小泉セツが語る怪談に静かに耳を傾けました。

そして、それらを自らの作品へと仕上げていきました。

家庭での小泉八雲は、教育者としての顔とはまた違う表情を見せていました。

朝と晩には一雄と、明治30年(1897年)に生まれた次男・巌に英語を教え、アンデルセン童話集や妖精物語集を使ってスクーリングを行いました。

父親としての小泉八雲の時間は、文学の楽しさを子どもたちに届ける温かなものだったのです。

また、この頃の小泉八雲には「海」という大切な楽しみがありました。

久しぶりに泳ぐ喜びを思い出した小泉八雲は夏になると毎年焼津の海を訪れました。

一雄や巌とともに海水浴を楽しみ、子どもたちと過ごすかけがえのない時間を味わっていました。

小泉セツは魚が苦手なため焼津には同行しませんでした。

しかし小泉八雲と小泉セツは愛情のこもった手紙を交わし、家族の絆を深めていきました。

日中は大学で教え、朝晩は子どもたちに英語を教え、夜には小泉セツの語る怪談を聞きながら作品を書く。

東京の生活は「教育・家庭・創作」が連なるリズムで満ちていました。

小泉八雲の文学は大学での研究だけで育まれたのではなく、家庭の中にこそ豊かな源がありました。

家族の声、怪談の語り、子どもの笑い声、そして海の匂い──それらすべてが小泉八雲の創作につながっていったのです。

家庭内の穏やかな時間と創作の営み。

それは東京でのキャリアと同じくらい、小泉八雲の生活にとって欠かせないものでした。

そしてこの日々の積み重ねが、後に語り継がれる小泉八雲文学世界を形づくっていったのです。

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