2025/4/9(木)第2週「灯の道」

あらすじ

亀吉との口論の末に奥田家を飛び出したりんは環を連れて東京の信勝のもとに向かいました。美津が信勝のもとに行くようりんに告げ、深夜に奥田家の火事を知らせ来た虎太郎がりんの逃亡を助けました。

東京の信勝のもとに着いたりんは、信勝のもとに置いて欲しいと頭を下げました。しかし信勝はりんの頼みを断りました。信勝は商売に失敗して店も廃業し、住んでいる家も立ち退くことが決まっていたのです。

同じころ、宣教師のメアリーがアメリカに帰国することになりました。直美は一緒に連れて行ってほしいとメアリーに懇願。しかし、やりたいことがない直美の願いをメアリーは受け入れはしませんでした。

信勝を頼れくなったりんは東京で仕事探しを始めました。しかし子連れのりんを住み込みで雇ってくれるところは簡単には見つかりませんでした。そんな中、環が手にしていた風車が風に飛ばされたことがきっかけでりんは直美と出会いました。

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感想

ようやく二人のヒロインが出会いました。

ここに至るまでストーリーの展開が早すぎるとの指摘もありましたが、二人のヒロインが出会ったここからが本番。

これからはそれほどスピーディーな展開にはならないような気もします。

実際、今回のドラマの中で描かれたエピソードはわずか数日間の出来事でした。

今週に入ってからの数ヶ月から数年の時間のスキップはありませんでした。

りんちゃん、東京へ

これまでは「直美編」でだけ描かれてきた東京にりんちゃんがやって来ました。

りんちゃんに東京に行くよう咄嗟の判断をしたのは美津さん。

咄嗟に、しかも冷静にこんな判断ができるなんて、さすが武士の妻だけのことはあります。

前週の金曜日に放送された予告映像の中には、夜の川を進んで行く船の場面がありましたが、その映像がりんちゃんの逃亡劇でした。

また前回、りんちゃんが実家に駆け込んできた直後、何者かが来訪。

その何者かは虎太郎くん。

虎太郎くんがりんちゃんの船着場までの逃亡を助けることに。

当初はヒロインの相手役にすら見えていた虎太郎くん、いい仕事をしました。

一方、おそらく今回が最後の登場であろう奥田家では、火事が発生してかなりの時間が経ってからりんちゃんと環ちゃんがいなくなったことが判明。

小心者の亀吉さんがかなり焦った表情を浮かべて二人を探すように命令を出しました。

しかし、そのころ妻と娘が東京への逃亡中だったことは知る由もなく・・・

ちなみに史実では、リアルりんちゃんは第二子のお産の際に実家に帰らせて欲しい、実家でお産をしたいとリアル貞さんに懇願。

リアル貞さんはこれを受け入れました。

そして、実家で無事にお産を済ませたリアルりんちゃんは、実家で離婚を宣言。

なお、その当時リアルりんちゃんの実家は東京にありました。

しかし、リアルりんちゃんの一方的な離婚をリアル奥田家は簡単には受け入れず、リアル環ちゃんを連れ去るなどのトラブルも発生。

最終的に縁が切れるまで大変な日々だったようですが、ドラマではどこまで再現されるのでしょうか。

直美ちゃん、渡米の夢が消える

いつだったか直美ちゃんはメアリーさんに、アメリカに帰る時には自分も連れて行って欲しいと言いました。

そしてメアリーさんもその願いを受け入れるような返事をしていました。

しかし、いよいよメアリーさんが帰国することに。

直美ちゃんが改めてメアリーさんにアメリカに連れて行って欲しいと頼むと、意外にもメアリーさんは直美ちゃんの頼みを断りました。

理由は直美ちゃんにはやりたいことがないから。

ただ逃げ出したいだけで日本を離れるなら、アメリカでもインドでも生きてはいけない。

メアリーさん、ド正論です。

『あまちゃん』で春子さんが、地元でダメな奴は東京に行ってもダメ。

そんな意味の言葉を口にしたと記憶していますが、メアリーさんもそれとほぼ同じ意味の言葉を口にしました。

痛いところを突かれた直美ちゃん。

アメリカ行きの夢はかなり遠のいてしまいました。

そんなタイミングで、直美ちゃんはりんちゃんと出会いました。

りんちゃんに対して直美ちゃんのストーリーはこれまで大きく動いて来ませんでした。

いよいよ直美ちゃんのストーリーも動き始めるのでしょうか。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

今週、りんちゃんが結婚。

その後、離婚するまでが描かれます。

りんちゃんの離婚のエピソードは史実をモチーフにしたものです。

史実では、リアルりんちゃんの夫には複数の妾がいました。

その当時、妾は妻と同様の配偶者として法的に公認されていたのです。

つまり当時の日本は一夫多妻制だったということです。

明治時代、日本では一夫多妻制がどのように一夫一婦制へ移行したのか。

今回の予習欄では当時の法律の変遷についてまとめました。

新律綱領と妾の地位

明治政府が1871年(明治3年12月)に発布した日本初の統一的刑法典「新律綱領」において、妾の地位はそれまでと大きく変化しました。

妾は妻と同様の配偶者として法的に公認され、保護される存在となり、戸籍に記載されない事実上の娶妾であっても法律上の効力が認められました。

また、妾の子は庶子として認知される限り、法律の保護を受けることができました。

しかし、この制度に対して強い批判も起こります。

司法卿の江藤新平や森有礼は、1875年から1876年(明治7年〜8年)にかけて『明六雑誌』に「妻妾論」を発表。

妾制度の廃止を主張しました。

さらに福澤諭吉も「男女同数論」を寄稿し、廃妾論を支持しています。

このような議論の中で、国家的利益を重視する立場から、妾制度は次第に廃止へと向かっていきました。

1876年(明治9年)には司法省で民法編纂が開始。

『東京日日新聞』には民法の基本原理として「法律上に妾を公認しない」と解釈できる一項が報じられています。

この頃から、妾制度は民法との関係で本格的に議論されるようになりました。

そもそも新律綱領は、身分関係を重視する明清律を基礎としながらも、手続き面では欧米の制度を取り入れており、その矛盾が問題となっていました。

そのため政府は欧米型の法律を新たに整備する必要に迫られ、娶妾制度の存廃が問われるようになったのです。

一夫多妻制から一夫一婦制への移行

明治維新以前の日本では、特に上流階級において一夫多妻制が一般的でした。

しかし、明治維新によって日本が大きく変わり始めると、欧米との交流も活発になります。

そこから西洋の法制度や倫理観が日本にもたらされ、従来の価値観が見直されていきました。

当時の政府は、欧米列強から「野蛮だ」と見なされることを避けるため、近代国家としての体裁を整える必要に迫られていました。

その一環として、一夫一婦制の導入が急速に進められます。この動きは、福沢諭吉や森有礼といった啓蒙思想家たちの主張にも支えられていました。

具体的な法整備も段階的に行われていきます。

1880年(明治13年)には旧刑法において「重婚罪」が定められ、戸籍上で複数の妻を持つことが禁止されました。

続く1886年(明治19年)には、戸籍法から妾に関する規定が削除されます。

そして1898年(明治31年)には旧民法が施行され、重婚が明確に禁止されることで、一夫一婦制が法的に確立しました。

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