アメリカ行きを願う直美 / 風、薫る 9回
2025/4/9(木)第2週「灯の道」
あらすじ
亀吉との口論の末に奥田家を飛び出したりんは環を連れて東京に向かいました。
そのころ東京では、教会で直美を見守り続けてきた宣教師のメアリーがアメリカに帰国することになりました。
アメリカに憧れている直美は一緒に連れて行ってほしいとメアリーに懇願。
しかし直美は断られてしまいました。
参考:地上波番組表
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鑑賞後の感想
感想欄は放送後に追記します。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今週、りんちゃんが結婚。
その後、離婚するまでが描かれます。
りんちゃんの離婚のエピソードは史実をモチーフにしたものです。
史実では、リアルりんちゃんの夫には複数の妾がいました。
その当時、妾は妻と同様の配偶者として法的に公認されていたのです。
つまり当時の日本は一夫多妻制だったということです。
明治時代、日本では一夫多妻制がどのように一夫一婦制へ移行したのか。
今回の予習欄では当時の法律の変遷についてまとめました。
新律綱領と妾の地位
明治政府が1871年(明治3年12月)に発布した日本初の統一的刑法典「新律綱領」において、妾の地位はそれまでと大きく変化しました。
妾は妻と同様の配偶者として法的に公認され、保護される存在となり、戸籍に記載されない事実上の娶妾であっても法律上の効力が認められました。
また、妾の子は庶子として認知される限り、法律の保護を受けることができました。
しかし、この制度に対して強い批判も起こります。
司法卿の江藤新平や森有礼は、1875年から1876年(明治7年〜8年)にかけて『明六雑誌』に「妻妾論」を発表。
妾制度の廃止を主張しました。
さらに福澤諭吉も「男女同数論」を寄稿し、廃妾論を支持しています。
このような議論の中で、国家的利益を重視する立場から、妾制度は次第に廃止へと向かっていきました。
1876年(明治9年)には司法省で民法編纂が開始。
『東京日日新聞』には民法の基本原理として「法律上に妾を公認しない」と解釈できる一項が報じられています。
この頃から、妾制度は民法との関係で本格的に議論されるようになりました。
そもそも新律綱領は、身分関係を重視する明清律を基礎としながらも、手続き面では欧米の制度を取り入れており、その矛盾が問題となっていました。
そのため政府は欧米型の法律を新たに整備する必要に迫られ、娶妾制度の存廃が問われるようになったのです。
一夫多妻制から一夫一婦制への移行
明治維新以前の日本では、特に上流階級において一夫多妻制が一般的でした。
しかし、明治維新によって日本が大きく変わり始めると、欧米との交流も活発になります。
そこから西洋の法制度や倫理観が日本にもたらされ、従来の価値観が見直されていきました。
当時の政府は、欧米列強から「野蛮だ」と見なされることを避けるため、近代国家としての体裁を整える必要に迫られていました。
その一環として、一夫一婦制の導入が急速に進められます。この動きは、福沢諭吉や森有礼といった啓蒙思想家たちの主張にも支えられていました。
具体的な法整備も段階的に行われていきます。
1880年(明治13年)には旧刑法において「重婚罪」が定められ、戸籍上で複数の妻を持つことが禁止されました。
続く1886年(明治19年)には、戸籍法から妾に関する規定が削除されます。
そして1898年(明治31年)には旧民法が施行され、重婚が明確に禁止されることで、一夫一婦制が法的に確立しました。
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