2025/4/3(金)第1週「翼と刀」

あらすじ

りんに見合い話が舞い込んで来ました。

しかし、りんは見合いをするべきかどうか迷いに迷いました。

そんなある日、りんは鹿鳴館の華と呼ばれる大山捨松と出会いました。

一方、直美は捨松と大山巌の結婚を報じる新聞の記事を読み、アメリカに興味を持ち始めていました。

参考:地上波番組表

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

本作『風、薫る』の主人公一家は、前作『ばけばけ』の主人公一家と同様に維新前は武士階級の一家でした。

時代に翻弄されたのはそれぞれの主人公一家の実在モデルも同様です。

前作の主人公一家の実在モデルも時代に翻弄されましたが、本作の主人公一家の実在モデルはそれ以上に時代に翻弄された過去を持ちます。

第1週最後の予習レビュー欄では、主人公一家を翻弄した時代についてまとめました。

黒羽藩

主人公一家の実在モデルは黒羽藩の藩士一家でした。

黒羽藩は、下野国那須郡に存在した藩で、藩庁は黒羽陣屋に置かれていました。

藩主家の大関氏は、もともと下野の名門・那須氏を支えた那須七党の一つでした。

1590年、小田原征伐に参陣した大関高増は1万3千石の所領を安堵され、関ヶ原の戦いでは大関資増が東軍に与して上杉家に備えた功績により、徳川家康から7千石を加増。

2万石の大名となります。

その後、大関増親の代に分家への分与があり、石高は1万8千石となりました。

幕末には15代藩主・大関増裕が海軍奉行や若年寄など幕府の要職を歴任し、藩政では作新館を開校してスペンサー銃を標準装備するなど、兵装の洋式化を進めています。

増裕の死後、16代大関増勤は戊辰戦争で新政府軍に付き、三斗小屋攻略や会津戦争で戦功を挙げ、永世賞典禄1万5000石を贈与されました。

黒羽藩は1871年の廃藩置県によって廃止されています。

戊辰戦争

戊辰戦争は、1868年(慶応4年/明治元年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに、旧幕府軍と新政府軍との間で繰り広げられた一連の内戦です。

15代将軍・徳川慶喜を擁する旧幕府軍に対し、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍が戦い、1869年(明治2年)の「箱館戦争(五稜郭の戦い)」で終結しました。

この戦争の結果、日本は新政府のもとで統一され、新しい時代へと踏み出すことになります。

なお、「戊辰戦争」という名称は、開戦年の干支が「戊辰」であったことに由来しています。

戦争に至るまでの緊張
戦争の背景には、1867年(慶応3年)11月の「大政奉還」がありました。

徳川慶喜は朝廷に政権を返上しましたが、依然として幕府は大きな権力を保持していました。

これに危機感を抱いた薩摩藩・長州藩と岩倉具視らは、徳川慶喜を排除し、天皇中心の新政府を樹立しようと動きます。

同年12月、「王政復古の大号令」が発せられ、200年以上続いた徳川幕府は正式に幕を下ろしました。

しかし新政府は、慶喜に対して「辞官納地」を求めます。

これに慶喜が反発したことで対立は深まり、各地で緊張が高まります。

やがて薩摩浪士による挑発、旧幕府による薩摩藩邸襲撃を経て、両者は完全に対立状態となりました。

そして慶喜は約15,000人の旧幕府軍を率い、鳥羽・伏見へ進軍します。

鳥羽・伏見の戦い
1868年1月、戊辰戦争の初戦となる鳥羽・伏見の戦いが起こりました。

旧幕府軍は約15,000人と数では圧倒的でした。

一方の新政府軍は薩摩藩を中心に約4,000~5,000人でした。

しかし薩摩藩は「薩英戦争」や「下関戦争」を通じて西洋の武器や技術を取り入れており、その火力は旧幕府軍を圧倒。

結果、旧幕府軍は敗北し、徳川慶喜は江戸へ逃れました。

江戸城無血開城
敗れた慶喜は江戸の寛永寺で謹慎し、新政府に恭順の意を示します。

しかし、新政府側には慶喜の責任を厳しく問う声があり、旧幕府側には徹底抗戦を主張する者もいました。

このまま江戸が戦場になれば、多くの犠牲が出ることは避けられません。

そこで、旧幕府側の勝海舟と薩摩側の西郷隆盛が会談を行います。

立場は対立していましたが、「戦いを避けたい」という思いは同じでした。

両者は「江戸城を明け渡す代わりに総攻撃をしない」という条件で合意し、江戸城は無血で開城されました。

会津戦争の悲劇
一方、京都守護職として幕府を支えた会津藩主・松平容保は、新政府に恭順を示していました。

しかし新政府は容保を討つ方針をとり、1868年(慶応4年)に会津戦争が始まります。

白河小峰城での戦闘を皮切りに、新政府軍は新式の小銃や大砲で優位に立ち、会津藩は次第に追い詰められます。

戦火は会津若松城(鶴ヶ城)に及び、会津藩は籠城戦を展開しました。

城内には50発もの砲弾が撃ち込まれ、婦女子や少年兵も戦闘に加わります。

16~17歳の少年で編成された白虎隊も応戦しましたが、1か月に及ぶ籠城の末、会津藩の戦力は尽き、白虎隊の少年たちは自害に追い込まれました。

最終的に松平容保は降伏し、代わりに家老が切腹することで戦いは終結します。

箱館戦争と戊辰戦争の終結
最後の舞台となったのが1869年(明治2年)5月の箱館戦争です。

新政府は旧幕府の約8万人の幕臣を養うことが困難となりました。

これを受け、旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚は東北への移住と開拓を名目に、土方歳三ら旧幕府側の武士を率いて箱館(函館)へ向かいます。

新政府軍との戦闘は海と陸で一進一退の攻防が続きましたが、やがて新政府軍の総攻撃が始まり、旧幕府軍は五稜郭に追い詰められます。

最大の防衛拠点であった弁天台場が壊滅し、その救援に向かった土方歳三は一本木関門付近で銃撃を受け、35歳で戦死しました。

その後、榎本武揚が降伏し、箱館戦争は終結します。

こうして1年以上に及んだ戊辰戦争は幕を閉じ、日本は新政府のもとで統一され、明治という新たな時代へ歩み出したのでした。

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