2025/4/8(水)第2週「灯の道」

あらすじ

りんが出産した日から月日は流れ、娘の環は3歳になりました。環を懸命に育てるりんが娘に託した望みは、環が成長したら女学校に通って勉強することでした。それはりんの果たせなかった夢でもありました。

一方、アメリカに憧れている直美は、教会で行われる炊き出しに向かう途中で、偶然に大山捨松に会いました。その時、捨松は何故か不満そうな表情を浮かべていました。そして捨松が英語でつぶやいた独り言を直美は耳にしました。

そんなある日の夜、りんは酒に酔って帰宅した亀吉と口論になりました。そして、激怒して暴れ始めた亀吉は火を出してしまいました。奥田家の屋敷が炎に包まれる中、りんは環をおぶって美津のもとへ駆けつけました。

りんは美津に詫びながら「奥様をやめる」と言いました。事情を察した美津はりんに告げました。奥田家には戻らず東京の信勝のもとに逃げよ。負け戦を長引かせてはならないと。その時、何者かが一ノ瀬にやって来ました。

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感想

前回、りんちゃんが初めて見せる涙の場面から3年がスキップ。

本当に早い展開です。

奥田家の事情

環ちゃんが3歳になりました。

りんちゃんが愛情をいっぱい注いで育てているのでしょう。

あの父親の娘とは思えないほど良い子の様子。

しかしあの父親の方は相変わらずです。

あの父親のお母上もまた相変わらずのようです。

とりわけ「あの父親のお母上」、今回は感じが悪かった。

「可愛げのない嫁」だの「学があると女は面倒」だのとりんちゃんに嫌味を言って、家柄への劣等感が丸出しです。

こんなこと言う自分が恥ずかしくならないのかなとも思いますが、恥よりも劣等感の方が上まっているのかもしれません。

そして、3年経っても相変わらずの「あの父親」。

ブログ主にとって意外な一面が見えました。

意外な一面とは、どうやらマザコンかもしれないという一面です。

キャラクター設定では、亀吉さんは飛脚から成り上がり一代で運送業を今の状態にまでした経営者ということです。

なかなかのやり手のはずです。

そんなやり手のはずの男が火を出した恐怖で腰を抜かす。

腰を抜かしただけでなく「おっかあ」に助けを求める。

亀吉さん、こんな小心者だったのかと驚きです。

そして、改めて奥田家の母と息子の関係について推測してみました。

もしかすると、奥田家の家業をここまで発展させたのは息子ではなく母の方だったのかも。

やり手だったのは息子の亀吉さんではなく、母の貞さんだったということです。

いわゆる女傑というやつです。

そして息子を溺愛する貞さんは、自分で財を成しながらも息子を社長に担ぎ上げた。

一方、小心者でマザコンの息子には社長の座が重すぎる。

そのストレスから逃げるために酒に溺れる。

奥田家の母と息子、そんな関係なのかもしれません。

以上はあくまでもブログ主の憶測ですが、こんな奥田家も今回が見納めのようです。

ちょっと安心できました。

りんちゃんの受難

家の中で出火し、呆然とするりんちゃん。

我に帰ると環ちゃんをおぶって実家に駆けつけました。

咄嗟の判断、お見事です。

美津さんもすべてを察したようです。

もともとりんちゃんが奥田家に嫁ぐことに懸念を示していた美津さんです。

りんちゃんを東京に逃亡させると決めました。

りんちゃんの人生がようやく動き始めました。

ちなみに史実では、リアルりんちゃんはリアル奥田家でドラマの中で描かれている以上に過酷な日々を送っていました。

前回と今回、なかなかエグい展開でしたが、りんちゃんの受難は史実よりはマシだったので安心して見ていられました。

史実に忠実にりんちゃんの受難が描かれていたら、とても耐えられなかったかもです。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

前回の予習欄では、ドラマの中で環ちゃんが誕生する3年前にリアルりんちゃんが第一子を産んだ史実をご紹介しました。

ドラマの中の第一子・環ちゃんの誕生は1880年(明治13年)。

一方、リアルりんちゃんの第一子の誕生は1877年(明治10年)でした。

ところでリアルりんちゃんは、ドラマの中のりんちゃんが第一子を産んだのと同じ年に、第二子の女の子を産んでいます。

この女の子がドラマの中に登場する環ちゃんの実在モデルと思われます。

今回の予習欄では環ちゃんの実在モデルと思われる女性の史実についてまとめました。

大関心

大関心さんは、1880年(明治13年)に柴田福之進豊綱と大関和さんとの間に生まれました。

しかし、和さんは心さんを実家で出産した時点で、すでに柴田との離婚を決意しており、心さんは父親の顔を知らずに育ったと考えられています。

離婚後、和さんは息子の六郎さん、娘の心さん、そして妹の釛さん、母の哲さんを連れて上京。

東京での生活が始まると、和さんは自らの人生を切り開くように看護の道へ進みました。

1887年(明治20年)には桜井女学校内の看護婦養成所に入学し、その後は帝国大学医科大学附属第一医院で外科看病婦取締として勤務。

さらに1890年(明治23年)には高田女学校の舎監を務め、知命堂病院では看護師長兼講師として1896年(明治29年)まで働き続けました。

和さんは家計を一手に支える「シングルマザー」でした。

そのため、幼い六郎さんと心さんの子育ては、祖母である哲さんが中心となって担いました。

心さんにとって哲さんは、実質的な「育ての親」だったのです。

和さんは仕事に追われ、心さんの子育てに十分に関われたわけではありませんでした。

それでも心さんは母の背中を見て育ち、将来の職業として看護婦を志します。

桜井女学校の後身である女子学院を卒業した後、慈恵看護婦教育所に進学し、本格的に看護の道を歩み始めました。

しかし1900年(明治33年)、心さんは結核を発症。

看護学校で座学を受けている最中に風邪の症状を訴え、受診したところ結核と診断されました。

わずか4か月後、20歳という若さでこの世を去ります。

このとき和さんは、娘と過ごした時間があまりにも少なかったことを深く悔やんだと伝えられています。

母の背中を追い、同じ道を志した心さんの短い生涯は、家族の愛と喪失の記憶を静かに残しました。

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