2025/4/7(火)第2週「灯の道」

あらすじ

りんが奥田亀吉のもとに嫁ぎました。りんと亀吉の祝言が開かれた日の夜、美津と安は信右衛門の仏前に祝言を終えたことを報告。しかし美津と安は大酒飲みという噂もある亀吉に嫁いだりんのことが心配でした。

りんの新しい生活が始まりました。りんは奥田家に尽くしました。一方でりんは、酒を飲むと人が変わってしまう亀吉に、酒を少し控えてほしいと頼みました。しかし亀吉は、りんの頼みに耳を貸そうとはしませんでした。

そのころ東京では、本を盗んだ疑いをかけられ解雇された直美が、別のマッチ工場で雇われ仕事をしていました。しかし、直美が解雇された理由を知った工場長は直美を泥棒女と罵り、わずかな給金しか渡しませんでした。

月日は流れ、りんが第一子の女の子を出産。義母の貞は、家老の娘が子供を産んだことで奥田家に箔が付いたことを喜びました。一方、男児を期待していた亀吉は生まれた子に関心を示しませんでした。孤独を感じたりんは初めて涙を見せるのでした。

<<前回6回 | 次回8回>>

第2週 | 第3週 | 第4週 | 第5週 | 第6週
第7週 | 第8週 | 第9週 | 第10週 | 第11週
第12週 | 第13週
風、薫る|感想あらすじネタバレトップページ

Sponsored Link

感想

今回はりんちゃんの祝言から第一子の出産まで足早に描かれました。

唖然とするほどスピーディーな展開

唖然とするほどスピーディーな展開でしたが、スピーディーな展開で良かったと思います。

何故なら、奥田家で苦労するヒロインの姿を見続けるなど苦痛以外の何者でもないからです。

ヒロインが嫁ぎ先で苦労する話で思い出すのは『ごちそうさん』です。

当ブログが初めてリアルタイムでフォローした朝ドラでした。

『ごちそうさん』のヒロインは嫁ぎ先で同居する義理の姉に散々いじめられました。

あのいじめの日々は過酷でした。

当時のブログ主は朝ドラを見慣れていなかったので、苦痛しかありませんでした。

しかしドラマの文脈の中で、ヒロインと義理の姉の関係が良い方向に向かうことが見え隠れしていました。

また義理の姉は厳しいながらも正論しか言わないため、義理の姉の言葉や態度に納得するしかなかった面もありました。

だから、義理の姉のヒロインいじめを見ることに耐えられました。

しかし本作『風、薫る』の場合、ドラマの文脈の中でヒロインと夫、ヒロインと義理の母の関係が良好に転じる未来が見えません。

しかも夫の言葉や態度は理不尽極まりない。

義理の母も、第一子への反応すなわち「家老の娘が子供を産んで奥田家の箔が付く」の一言が全てを物語っていました。

こんな夫と義理の母との生活を見続けるのは苦痛しかない。

『ごちそうさん』には苦痛の先に明るい未来が期待できましたが、『風、薫る』は苦痛の先に何もない。

だからわずか1回で祝言から出産までを描き、その間の描写をスキップしたことは大正解であるとブログ主は考えます。

唖然とするほどスピーディーな展開で本当に良かった。

りんちゃんの涙

ところで今回のアバンタイトル、祝言の夜に安ちゃんが言いました。

「嫁入りのときぐらい泣くかと思ったが泣かなかった」

安ちゃん、何を言い出すのかと思ったら信右衛門さんが亡くなった直後の回想場面が挿入されました。

信右衛門さんが亡くなった時も涙一つ見せなかったりんちゃん。

信右衛門さんがコレラを発症して亡くなり、骨壷に入るまでの間、美津さんと安ちゃんは不在でりんちゃんは一人でした。

ドラマの中でも描かれた通り、発症してからの看病もりんちゃん一人。

そしてドラマの中では省略されましたが、葬儀を行い荼毘にふすまでもりんちゃんは一人。

その間、ずっと泣かなかったようです。

悲しみを押し殺し涙をこらえたりんちゃん。

りんちゃんが祝言を涙を見せなかったのも、複雑な感情を押し殺すためだったのでしょう。

安ちゃん、そこに気がついたらしい。

そんなりんちゃんが、出産直後に初めて涙を見せました。

誰も見ていないところで。

Sponsored Link



予習レビューと史実のリアルエピソード

今週、りんちゃんが結婚し第一子の女の子が誕生します。

その名は環ちゃん。

そして環ちゃんが誕生して3年がスキップ。

ドラマの中では、環ちゃんが3歳になる1883年(明治16年)となります。

1883年(明治16年)で3歳ということは環ちゃんが生まれたのは1880年(明治13年)という計算になります。

ところでリアルりんちゃんが第一子を産んだのはドラマの中よりも早い1877年(明治10年)でした。

さらに第一子は女の子ではなく男の子でした。

男の子の名は「六郎」。

今回の予習欄では第一子の「六郎」についての史実をまとめました。

大関六郎

大関六郎さんは、1877年(明治10年)に柴田福之進豊綱と大関和さんとの間に生まれました。

和さんにとって初めての子どもでしたが、「六郎」と名付けられた背景には、父・柴田福之進豊綱にすでに妾との間に五人の子どもがいたという事情がありました。

六番目の子であったことから、この名が付けられたのです。

柴田福之進豊綱が妾との関係を解消しないことが原因となり両親は離婚。

母の和さんは家計を一手に支える立場となり、いわば現代でいう「シングルマザー」でした。

そのため、幼い六郎さんの養育は祖母である大関哲さんが担い、哲さんが事実上の「育ての親」となりました。

六郎さんはこの環境の中で成長していきます。

学業面では非常に優秀で、旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)を経て、東京慈恵医院医学校(現在の東京慈恵会医科大学)に進学しました。

和さんは息子を歯科医にしたいと願っていました。

しかし、六郎さんは肝心の医術開業試験にどうしても合格することができませんでした。

挑戦が続く中で、焦りや停滞感もあったと考えられます。

1904年(明治37年)、六郎さんは沢本操さんと結婚。

操さんは和さんが経営していた「東京看護婦会」で特に有能と評価されていた看護婦でした。

試験に合格できずに過ごしていた時期が長かったため、結婚当初は和さんから見て頼りない部分もあったようです。

しかし、息子の一郎さんが誕生してからは、六郎さんは「一家の大黒柱」としての自覚を持ち始めたと伝えられています。

ところがその矢先、東南アジアで聖書を販売する仕事があるとして、六郎さんはいきなり海外へ。

この決断に和さんは強い不安を覚えましたが、その予感は不幸な形で的中してしまいました。

六郎さんは渡航先のジャワ島でマラリアに感染し、1910年(明治43年)、わずか33歳という若さで亡くなります。

彼の死後、妻の操さんと幼い一郎さんが残されることになりました。

期待と挫折、そして家族への責任感が交錯した六郎さんの人生は、あまりにも短いものでした。

<<前回6回 | 次回8回>>

第2週 | 第3週 | 第4週 | 第5週 | 第6週
第7週 | 第8週 | 第9週 | 第10週 | 第11週
第12週 | 第13週
風、薫る|感想あらすじネタバレトップページ