2023/11/1(水)第5週「ほんまの家族や」

あらすじ

昭和12年(1937年)、スズ子が香川にあるツヤの実家に行ってから3年。そのころの梅丸歌劇団は、スズ子たちの代が中心になり人気を集めていました。そのころの劇団の二大トップスターは秋山とリリーでした。

歌手として活躍しながらもスズ子は現状に満足できませんでした。しかし自分はどうなりたいのかをスズ子は言葉にできませんでした。そんなある日、ラジオから流れてきた曲を聞きスズ子は深い感銘を受けました。

スズ子は早速その歌のレコードを買いました。歌のタイトルは『別れのブルース』。歌手の名前は茨田りつ子でした。そんなある日、大和礼子と股野が公演を見るために久しぶりに劇団にやって来ました。

礼子は劇団を去った後に股野と結婚。そのころ礼子は出産を翌月に控えていました。スズ子の悩みを察した礼子はスズ子にアドバイスしました。そんなある日、梅丸の東京支社の辛島と演出家の松永がスズ子たちの公演の視察に来ました。

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感想

スズ子ちゃんのブレイクのフラグ

アバンタイトルのステージの場面のスズ子ちゃんの表情がみごと。

観客には笑顔を振りまきながらも、自分よりも目立っているリリーのことが気になって仕方がない。

度々リリーをチラ見するスズ子ちゃんの視線がスズ子ちゃんの気持ちをよくあらわしていました。

そして帰宅してからもスズ子ちゃんの表情は浮かないまま。

この浮かない表情、前回までは決して見ることのなかったスズ子ちゃんの表情です。

そして、そんな表情を浮かべるスズ子ちゃんの今の悩みも、前回までのスズ子ちゃんには想像もできなかった悩みかと。

前回から今回にかけて3年がスキップ。

その間にスズ子ちゃんは歌手として大きく成長したようです。

おそらく今のスズ子ちゃんの状況はブレイク直前の停滞期といったところでしょうか。

実際に間も無く始まるスズ子ちゃんのブレイクのフラグが、ブログ主が確認できたかぎりでは2つ立っていました。

1つは3センチ眉毛。

自分を変えようとする試みの中で、2センチ眉毛と3センチ眉毛を試作。

2センチと3センチ、どちらがいいか尋ねられたリリーは3センチ!と即答したことで3センチ眉毛に確定でしょうか。

おそらく次週あたりにこの3センチ眉毛がブレイクしたスズ子ちゃんのシンボルの一つになるはずです。

もう一つのブレイクのフラグ。

それは梅丸東京支社からやってきた辛島さんと松永さん。

明日には描かれると思いますが、東京支社のお二人がスズ子ちゃんの歌声に何かを見出し東京で新設される劇団にスカウト。

それがきっかけでスズ子ちゃんがブレイクします。

今回の最後の東京から来たお二人の登場は、これから何かが起こる予感でいっぱいでした。

ツヤさんの取り越し苦労

『別れのブルース』に聴き入るスズ子ちゃんの姿を見て、ツヤさんが言いました。

別れの歌を聴いているのは、自分たちとの別れを考えはじめているのかと。

今の時点ではこれはツヤさんの考え過ぎ。

スズ子ちゃんが『別れのブルース』にハマっているのは、別れを考えているのではなく『別れのブルース』の歌の中に自分を変えるヒントを見出そうとしているからです。

しかし、間も無くスズ子ちゃんは両親と別れることになります。

スズ子ちゃんの上京によって。

ツヤさんの心配は今は取り越し苦労に過ぎませんが、近いうちに本当の悲しみになってしまうのでしょう。

ツヤさんの取り越し苦労もまた、スズ子ちゃんのブレイクのフラグ。

ブレイクによって生じる別れのフラグともいえますね。

秋山美月

自分の歌が秋山のタップダンスによって持っていかれるような気がすると悩むスズ子ちゃん。

意外にも秋山美月もまた同じことを考えていました。

自分のタップダンスがスズ子ちゃんの歌によって持っていかれるような気がすると。

秋山美月もブレイク直前の停滞期にハマっている模様。

そして東京支社からやってきたお二人は、秋山美月にとってもブレイクのフラグとなるようです。

大和礼子

この先の展開を知ってしまっているので、翌月の出産を心待ちにしてる大和礼子の姿があまりにも切ない。

赤ちゃんが産まれてきたら自分の中の何かが変わるような気がする。

そんな期待の言葉を口にする大和礼子。

しかしその期待は・・・

本欄では、これ以上のことは伏せておきます。

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予習レビューと史実のリアルエピソード

スズ子ちゃんが香川に行って出生の秘密を知ってしまったのは昭和9年(1934年)。

その前年の昭和8年(1933年)には桃色争議が発生。

そして3年スキップして昭和12年(1937年)。

そのころ、史実では何があったのか・・・

桃色争議の翌年の昭和9年(1934年)、松竹少女歌劇部は大阪松竹少女歌劇団に改称。

桃色争議でスターの劇団員が退団後ほどなくして、笠置シヅ子さん、秋月恵美子さんなどの新スターが誕生。

改称後の第一回公演は『カイエ・ダムール』。

この公演で笠置シヅ子さんは主題歌『恋のステップ』を歌い、コロムビア・レコードにて初めてのレコーディングも行いました。

『恋のステップ』のレコードは評判も上々、『カイエ・ダムール』もヒットしました。

そんな中、昭和10年(1935年)大正天皇の第四皇子が三笠宮家を創設しました。

当時、笠置シヅ子さんの芸名は「三笠静子」でしたが「三笠」を名乗るのは畏れ多いという理由から芸名を「笠置シヅ子」に改名。

そして昭和10年(1935年)12月に「笠置シヅ子」の名で『アベック・トア』に出演しています。

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