2025/9/30(火)第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」
あらすじ
トキは小学校の同級生・サワに影響されて教師になりたいと言い出しました。そのころトキは、お茶や三味線などの稽古を親戚の雨清水タエにつけてもらっていました。しかしトキは、教師に不要な稽古やめたいとタエに告げました。
そんなトキに対して、タエは武士の娘が働く必要などないと答えました。教師になる夢を否定されてトキが落ち込んでいると、そこに姿をあらわしたタエの夫の傳は面々を驚かせました。傳がマゲを落としざん切り頭になっていたのです。
さらに傳は織物工場を始めると言ってタエを驚かせました。傳はもう武士のままではいられないと考えていました。その日、トキとともに雨清水家に足を運んだフミは、帰宅してから司之介に傳の近況を報告しました。
一方、トキは傳のような人が父だと良かったと言いました。そのトキの言葉を耳にしてしまった司之介はその翌日、小学校から帰って来たトキにウサギを披露。しかしそのウサギが何を意味するのかトキにはまったく分かりませんでした。
第6週 | 第7週 | 第8週 | 第9週 | 第10週
第11週 | 第12週 | 第13週
ばけばけ|感想あらすじネタバレトップページ
感想
チビトキちゃん
チビトキちゃんが今回もいい味を出してます。
一方で今回はチビトキちゃんのお行儀の良さが際立ちました。
松野家の家族の中でも際立つチビトキちゃんの礼儀作法。
雨清水家での稽古の賜物でしょうか。
そして、叔父様のような人が父上だったらと気持ちを素直に口にしてしまうチビトキちゃん。
ちょっとネタバレになりますが、実はチビトキちゃんの生家は雨清水家です。
チビトキちゃんが叔父様というのは実父で、叔母様は実母。
チビトキちゃん、まだその事実をまったく知らないでいるようです。
ところで、『ブギウギ』では、親と思っていた人が実は実の親ではなかったという事実を知ったヒロインが大きなショックを受けていました。
真実を知ってしまったヒロインは直視できないほどでした。
一方、事前の情報によればチビトキちゃんはそこまで大きなショックは受けないらしい。
そして史実でもリアルトキちゃんは現実を冷静に受け止めていました。
なので『ブギウギ』のような悲劇の描写はないかと思われます。
それでも、チビトキちゃんが真実を知ってしまう瞬間を思うと切なすぎます。
あまりにも松野家の中に溶け込んでいますので。
雨清水家
さて、実は雨清水家はトキちゃんの生家です。
そのせいかどうか、チビトキちゃんの礼儀作法の徹底ぶりは松野家では浮いて見えますが、雨清水家では馴染んで見えるのは気のせいでしょうか。
チビトキちゃんが先生になりたいと家族に宣言する場面。
どちらかと言えば、それほど格式ばっていない松野家の中でチビトキちゃんは浮いてました。
本当にこの家族の娘なの?と思わずにはいられないほどの浮きっぷりでした。
不自然に見えるほどです。
もっと肩の力を抜いてもいいよと言ってあげたくなるぐらい。
ところが、雨清水家にいるときのチビトキちゃんは実に自然体に見える。
洗練された礼儀作法も無理しているようには見えず、ありのままでいるチビトキちゃんにしか見えません。
もしブログ主のこの感想が気のせいでないとしたら、見事な演出だと思います。
ネタバレあり:時代の変化
立派なお屋敷で暮らす雨清水家。
そこまで立派ではないものの、いかにも武家らしい家に暮らす松野家。
時代が明治になり両家とも時代に翻弄されながらも、まだまだ武士の社会の名残りがある中で生活が激変するまでにはなっていません。
もっともご本人たちは激変したと考えているのかもしれませんが。
しかし激変に抗っても十分に生きていくことができる。
それが今なのかもしれません。
だから、ドラマの描写はいたって平和です。
雨清水家では夫がマゲを落としたことに立腹し落胆もしているであろうタエさんですが、それでもいつもどおりの日々を送っています。
松野家でもシジミの話を呑気にしていられるぐらいに平和です。
しかし、こんな平穏な日々もまもなく終わり、激変という言葉では足りないぐらいの毎日を迎えることになるのでしょう。
それを思うと、今回描かれた平穏な日常がとても愛おしい。
本作は先の大戦は描かれないでしょうが、雨清水家も松野家も間もなく先の大戦の描写に匹敵するような混沌の中に入るものと思われます。
今回の最後に出てきたウサギはそのフラグかと。
先のことを考えると胸が痛みます。
今があまりにも楽しく平和なので。
予習レビューと史実のリアルエピソード
今回の本欄では、松野トキとヘブンの実在モデルである小泉セツとラフカディオ・ハーンの、それぞれの誕生から幼少期の頃のエピソードをご紹介します。
小泉セツの少女時代
セツが6歳になったころ、新政府は義務教育とともに公立学校の制度を開始。
セツは8歳になってから公立の小学校で学び始めました。
小学校では読み方、書き方、算術に加え、女子は裁縫教科の授業も受けました。
セツは小学校が好きで成績も優秀でした。
そして、優秀な成績をとった生徒がもらえる賞を取ることが楽しみでした。
少女時代のセツはまた、お話や物語を聞くのが大好きでした。
家族はもちろん、家来や女中に加えて出入りしている酒屋などにまで話を聞かせてくれとせがみました。
そのため周囲の面々は、セツが近づいてくると逃げ出すほどでした。
セツは養祖父や養父が聞かせてくれる侍の話や戦争の話が大好きした。
しかし、それ以上の大好きだったのは養母が聞かせてくれる話や物語でした。
セツの養母・トミは出雲大社の社家で代々高級神官をつとめてきた高浜家で養女として育てられました。
そのためトミは、出雲の神々の物語、出雲大社にまつわる話の数々、生き霊や死霊の話、狐や狸が人に化ける話など話題が豊富でした。
セツは数えで2歳ころよりお話や物語を聞くのが大好きになりました。
セツの物語好きはその後も続き、二十歳を過ぎても物語好きは変わりませんでした。
そのため、セツの中に豊富な物語がセツの中に貯えられました。
そして、セツの中に貯えられた物語の数々が、将来の夫・ハーンの文学に貢献。
ハーンの『知られぬ日本の面影』所収の「魂について」や『心』所収の「阿弥陀寺の比丘尼」などはセツの中に貯えられた物語がハーンの作品になったものです。
ラフカディオ・ハーンの幼少〜青年期
ヘブンの実在モデル・ラフカディオ・ハーンが来日するまでの人生は不運の連続でした。
ラフカディオ・ハーンは1850年6月27日生まれ。
父のチャールズ・ハーンはアイルランド出身の英国陸軍軍医。
母のローザはギリシア人。
ラフカディオ・ハーンは母の故郷であるギリシアのレフカダ島で生まれ、その島名にちなんでラフカディオと命名されました。
ラフカディオ・ハーンは2歳のときにハーン家があるダブリンに移住。
その直後に、母のローザは夫の愛情を感じられなくなったことを理由に4歳の息子をダブリンに残してギリシアに去りました。
その後ラフカディオ・ハーンは大叔母のサラ・ブレナンに引き取られました。
大叔母は裕福だったため別荘暮らしなどを楽しむ日々をラフカディオ・ハーンは過ごしました。
しかしラフカディオ・ハーンが7歳のとき。
父がインドに赴任するのを機に再婚し、父の再婚は父の永遠の別れになりました。
ラフカディオ・ハーンは7歳で両親を失ったわけです。
その後ラフカディオ・ハーンは、カトリック系の全寮制の学校に入学。
平穏な学生生活を過ごす中で遊具が左目に当たり失明。
ラフカディオ・ハーン17歳のときでした。
その翌年、ラフカディオ・ハーンが17歳のときに大叔母のブレナンが破産。
退学を余儀なくされました。
退学の様子は記録には残されていないものの、ロンドンで貧窮生活を送っていたと言われています。
なお、ラフカディオ・ハーンが退学を余儀なくされた翌年の1868年にセツが生まれました。
第6週 | 第7週 | 第8週 | 第9週 | 第10週
第11週 | 第12週 | 第13週
ばけばけ|感想あらすじネタバレトップページ









島根県の作品のひとつドラマ「砂時計」
「セクシー田中さん」作者であり早逝なされた芦原先生原作、セクシー田中さんのドラマで生じた事件を忘れてないから私は最後まで「あんぱん」がどうしても好きになれなかった
「砂時計」、個人的には「島根の弁護士」「ゲゲゲの女房」とならび好きな島根ドラマ(ドラマ版「砂の器」も好きだったけど、あれは映画版が圧倒的だからねえ)、「ばけばけ」がこれに加わればいいなぁ
傅「いずれこのままじゃ・・・・・野垂れ死ぬ・・・・・。」
あの時代は特に世の流れを見事に読めた御仁の勝利だったのでござるなあ。
父の言う武士の娘って、タエさんも言ってたけど、武士階級既に無いんですけど。そう言えば「まんぷく」でも松坂慶子さんが「私は武士の娘」ってしきりに言ってたなあ。父上、拗ねてる。でも失業武士の過激派がこの後、自由民権運動も重なって各地で武装蜂起するんだよなあ。西郷隆盛公も失業士族の生末に心を痛めていた。それが薩摩、長州の政権内部での軋轢、征韓論の対立も重なってやがて。