2025/4/15(水)第3週「春一番のきざし」

あらすじ

直美が身分を偽って鹿鳴館の給仕の仕事を手に入れました。

勉強を続けてきた英語を生かしながら仕事をする直美は、鹿鳴館で結婚相手を見つけることを密かに考えていました。

直美はまた、仕事をする中で捨松の鹿鳴館への思いを知りました。

そんなある日、鹿鳴館に海軍中尉の小日向という青年がやって来ました。

その頃、りんは瑞穂屋での仕事に精を出し、卯三郎から初めての給金をもらいました。

参考:地上波番組表

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鑑賞後の感想

感想欄は放送後に追記します。

予習レビューと史実のリアルエピソード

今週から物語の舞台の一つが鹿鳴館になります。

今回の予習欄では鹿鳴館の歴史をご紹介します。

鹿鳴館

鹿鳴館は、1883年(明治16年)に日本の外務卿・井上馨の欧化政策の一環として建設された西洋館です。

国賓や外国の外交官を接待するための社交場として用いられ、日本の近代化と外交戦略を象徴する建物となりました。

鹿鳴館を中心とした外交政策は「鹿鳴館外交」と呼ばれ、またこの時代そのものが「鹿鳴館時代」として記憶されています。

その背景には、欧米諸国との不平等条約を改正し、日本を「文明国」として認めさせたいという切実な願いがありました。

建設に込められた国家の思惑

当時、日本の最大の外交課題は、不平等条約の改正、とりわけ外国人に対する治外法権の撤廃でした。

しかし、日本では数年前まで磔刑や打ち首といった刑罰が行われており、それを目撃した外国人の間には、日本を「未開」とみなす強い不安がありました。

そのため井上馨は、欧米風の社交施設を建設し、外国使節を華やかにもてなすことで、日本が近代的な文明国であることを示そうとしたのです。

鹿鳴館は、現在の千代田区内幸町にあたる旧薩摩藩装束屋敷跡に建てられ、1880年(明治13年)に着工、3年の歳月をかけて完成しました。

設計はお雇い外国人のジョサイア・コンドル、施工は大倉喜八郎らによる土木用達組が担当しています。

建物は煉瓦造2階建てで、1階には大食堂や談話室、書籍室が置かれ、2階には舞踏室がありました。

3室を開放すると100坪ほどの大広間になり、バーやビリヤードも備えられていました。

また、ホテルとしての機能もあり、客室も設けられていたことから、単なる社交場を超えた複合的な施設であったことがうかがえます。

華やぎと嘲笑が交錯した「鹿鳴館時代」

1883年から1887年までの4年間が、いわゆる鹿鳴館時代です。

落成を祝う祝宴には1200名が招かれ、以後、国賓接待や舞踏会、天長節の祝賀会、慈善バザーなどが盛んに開かれました。

館名の「鹿鳴」は『詩経』に由来し、「客をもてなす」という意味を持っています。

しかし、その華やかさの裏側には苦い現実もありました。

当時の日本の政府高官やその夫人たちは、西洋式のマナーや舞踏に不慣れで、外国人の目にはぎこちなく映ったといいます。

外国人外交官の中には、日本人を「滑稽」と記す者もいました。

また、ダンスを踊れる日本人女性が少なかったため、芸妓や高等女学校の生徒が動員されていたことも風刺画に描かれています。

一方で、国粋主義者からは激しい批判が起こりました。

鹿鳴館の舞踏会は「退廃的」と非難され、さらに条約改正案に外国人判事の任用が含まれていることが明らかになると、世論の反発は一気に高まりました。

結果として井上馨は1887年に辞任し、鹿鳴館時代は事実上の終焉を迎えます。

首相官邸の仮装舞踏会という波紋

鹿鳴館時代を象徴する出来事の一つが、1887年4月20日に首相官邸で開かれた仮装舞踏会「ファンシー・ボール」です。

伊藤博文夫妻や井上馨、山縣有朋、渋沢栄一などが多彩な仮装で参加し、西洋・東洋・日本の歴史や文化が入り混じる華麗な宴となりました。

しかし、この舞踏会は国粋主義者の怒りを買い、「亡国の兆し」とまで罵られました。勝海舟でさえ深い憂慮を抱き、政府に建白書を提出しています。

華やかな宴は、同時に日本の進むべき道をめぐる激しい議論を呼び起こしたのです。

変遷と解体――消えた記念碑

鹿鳴館はその後、華族会館として使われ、地震被災や改修を経て姿を変えていきました。

1930年代には日本徴兵保険の施設として転用され、「日比谷會館」などとも呼ばれました。

しかし1940年、戦時体制の強まる中で取り壊しが決定されます。

保存を訴える声もありましたが叶わず、老朽化を理由に解体されました。

取り壊しの際には記念碑設置の約束もありましたが、果たされませんでした。

鹿鳴館の正門であった黒門は一度は旧国宝に指定されましたが、1945年の東京大空襲で焼失しています。

いまに残る鹿鳴館の痕跡

建物そのものは失われましたが、鹿鳴館の遺物はいくつか保存されています。

階段や親柱、壁紙見本は東京大学に、シャンデリアは江戸川区の燈明寺に、椅子やテーブルは博物館明治村や尚友倶楽部に残されています。

また、食器やカラトリーの一部は旧華族の末裔が所蔵しています。

現在、鹿鳴館の跡地は再開発が進み、2031年には「NTT日比谷タワー」が建つ予定です。

しかし、そこにかつて日本の近代化を象徴する舞台があったことは、「鹿鳴館跡」の碑によって静かに記されています。

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