2025/10/2(木)第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」
あらすじ
ある日、司之介が深夜になっても帰らぬ日がありました。その日から司之介は家族の前から姿をくらましました。司之介は10日経っても家に戻らず、家族は不安を募らせていました。トキたちは町中で司之介を探すものの、見つけることはできませんでした。
そんなある日、登校中のトキが司之介の姿を発見。トキは司之介に「家に帰ろう」と声をかけました。しかし司之介はトキの言葉を受け入れようとしませんでした。そこにフミも駆けつけ、司之介はようやく家に帰ると言いました。
しかし司之介の次の言葉にトキとフミは驚かされました。司之介は言いました。学校に行かせる金もないので明日から働いてくれ。ウサギの相場が崩れ、一生かかっても返しきれないような借金を抱えてしまったのだと。
司之介が帰った日の夕食はウサギの肉の汁でした。松野家は食べ物を買う金すらなくなったのです。トキが世を恨んでいたその頃、米国では新聞記者の仕事を失い餓死寸前のレフカダ・ヘブンがこの世に絶望していました。
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感想
司之介さん
前回が司之介さんが夜になっても帰宅せず、翌朝に司之介さんが湖畔にいる場面で終わり。
その直前には売り飛ばされる女性たちなど不穏なカットの連続。
悪い予感で満たされて前回が終わり、そして迎えた今回。
今回は司之介さんが帰らぬ夜の翌日からになるのかと思っていたら、なんと前回から十日も経っていました。
方々探しまわりやっと見つかった司之介さん。
家に帰ろうというトキちゃんの言葉を受け入れたものの、司之介さんはトラップを仕掛けながら事情を説明し始めました。
「一家四人楽しく暮らせればそれで良いか」
最低限の生活しか出来ないことを承認させるために、とりあえず言質をとってしまおうとトラップを仕掛ける司之介さん、なかなかずる賢い。
司之介さんのこのトラップに引っかかったトキちゃん、司之介さんの言葉を受け入れました。
すると司之介さんは、第二のトラップを仕掛けてきました。
「働いてくれるな?明日から」
学校をやめて働いてくれとは言わない。
まずは働いてくれという。
学校をやめるということは伏せて「働く」ことを呑ませようとする司之介さん、引き続きずる賢い。
最初のトラップでYESと言ってしまうと、続くトラップでもYESと言ってしまう。
これは詐欺師がよく使う手口。
司之介さんが使ったのはこの手口。
司之介さんは「働いてくれるな?明日から」という第二のトラップにもトキちゃんは引っ掛かるだろうと算段したのでしょう。
しかしトキちゃんは、第二のトラップには引っ掛かりませんでした。
トキちゃんは言いました。
「働く?明日は学校が・・・」
ここに至って司之介さんは観念し、ついにすべてを白状。
司之介さん、やらかしてしまいましたね。
ヘブンさんが本編内で初登場
第1回のアバンタイトルという特殊な場面を除いて、本編内でヘブンさんが初登場しました。
今回のヘブンさんの状況は、
・アメリカのシンシナティ在住
・新聞記者の仕事を失い餓死寸前
です。
史実ではラフカディオ・ハーンは1869年に移民船に乗って渡米。
ニューヨークから移民列車でシンシナティへ。
シンシナティではビラ配りや電報配達などしながら図書館で読書や文筆活動。
そして1874年に『シンシナティ・インクワイアラー』紙の新聞記者になりました。
そして白人と黒人の混血女性と結婚。
しかし当時のシンシナティでは混血女性との結婚は非合法だったため『シンシナティ・インクワイアラー』紙を1年足らずで解雇されました。
その直後に結婚も破綻。
今回のヘブンさんはこの頃がモチーフになっているものと思われます。
ただしラフカディオ・ハーンが餓死寸前の貧窮を経験したのは、シンシナティを去ってニューオーリンズに移住した1877〜1878年のことです。
ところで今回の段階ではトキちゃんとヘブンさんが出会うまで5612日。
その5612日の間、ヘブンさんの場面はいくつかあるようなので、出会うまでのカウントダウンが行われるのかもしれません。
予習レビューと史実のリアルエピソード
セツの略年譜
| 西暦(年号) | 年齢 | 出来事 |
| 1868(慶応4) | 0 | 2月4日、小泉家で誕生。 稲垣家の養女になる。 |
| 1871(明治4) | 3 | フランス人ヴァレットより虫眼鏡をもらう。 帯直しの祝い。 |
| 1876(明治9) | 8 | 内中原小学校に入学。 稲垣家が零落し城下町外れに転居。 |
| 1879(明治12) | 11 | 小学校の下等教科修了。 小泉家の機織り工場の織子になる。 |
| 1886(明治19) | 18 | 為二と結婚。 |
| 1887(明治20) | 19 | 実父・小泉湊死去。 夫・為二の出奔 |
| 1890(明治23) | 22 | 法的離婚のため小泉家に復籍。 8月にハーンは松江に到着。 |
| 1891(明治24) | 23 | 2月、ハーンの住み込み女中になる。 8月、ハーンと結婚。 11月、熊本転居。 |
| 1893(明治26) | 25 | 11月、一雄誕生。 |
| 1896(明治29) | 28 | 2月、ハーンの帰化により法的結婚。 |
| 1897(明治30) | 29 | 2月、巌誕生。 |
| 1899(明治32) | 31 | 12月、清誕生。 |
| 1904(明治37) | 36 | 9月26日、ハーン54歳で急逝。 |
| 1905(明治38) | 37 | 『思ひ出の記』執筆。 |
| 1912(明治45) | 44 | 1月、実母チエ死去。 |
| 1932(昭和7) | 64 | 2月18日、脳溢血で死去。 享年64歳。 ハーンの墓所の横に埋葬される。 |
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ウサギはよお、鶏肉に似ているのよ
一羽二羽とカウントするし
美味しく食ってやるのが供養、ちむどんのアババだって美味しく食べられてたし
個人的には唐揚げにするのがうまし
しかし、しじみしか出ないなあ
現代ならば出雲までの移動に然程時間や労力を要しないが、この時代はかなり困難だったのか出雲そばとか出ないかもね(浜田の海産物までは更に遠いし)
松江には、仕事、観光で良く行きました。短期間で滞在するには、遊ぶ所(大人も子供も)がたくさんあって、食べ物も美味しく(どこのホテルのモーニングのお味噌汁はどこもしじみ汁でした。)。和菓子を筆頭にスイーツも充実していて、何より景色が美しい(お城もあったし)凄く楽しい町でした。。だけど、のんびりした気質の鳥取県東部の人間が、仕事で転勤し、実際に単身生活を送ると、人間の気質のあまりの違い悩まされて逃げ帰るケースが多いと聞きました。(という鳥取東部は何も無い代わりに、ぬるま湯のような緩い環境だったせいもあるけど。)
今日のコメントを間違えて昨日の分に送りました。ごめんなさい。