2021年6月4日(金)第3週「故郷(ふるさと)の海へ」
あらすじ
2011年3月11日、仙台で東日本大震災に遭った百音と耕治は翌日の朝になって気仙沼まで戻ることができました。しかし、亀島に渡る船はなく、高台から見える亀島は壊滅状態になっていました。
数日後になって百音と耕治はようやく亀島に渡ることができました。百音は未知や幼馴染たちと再会。しかし未知や幼馴染たちは憔悴しきっており百音との再会を喜ぶこともできない状態でした。
2011年夏、心の傷が癒えない百音に対して耕治は言いました。また音楽をやってみないか、こんな時こそ音楽だと。しかし百音は、音楽など何の役にも立たないと言い返しました。その頃から百音は音楽から遠ざかるようになっていました。
東日本大震災の日を思い出し眠れなくなった百音を、亮は夜明け前の海岸に誘いました。他の幼馴染たちも海辺に集まって来ました幼馴染たちは故郷の海から昇る朝日を一緒に眺めるのでした。
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予習レビュー
モネちゃんの過去が語られた夜の、その翌朝。
モネちゃんと幼馴染たちは夜明け前の海辺へ。
海岸に行くのが昼間でもなく夕方でもなく、夜明け前というのは、モネちゃんの心がまだ夜明け前であることを暗示しているのでしょうか。
第1週で北上川に案内された気象予報士の朝岡さんが言いました。
「霧は必ず晴れ渡る」
朝岡さんの言葉と同様、夜も必ず明けます。
そして、モネちゃんは故郷の海岸で「夜明け」を体験します。
この海岸の夜明けの場面が、モネちゃんの心の霧が晴れ渡る日のフラグでありますように。
感想
最初の数週間が異例の構成になった理由
東日本大震災の日。
未知ちゃんも幼馴染たちもそして故郷の亀島の人たちも、生まれ故郷が破壊され大事な人が目の前で亡くなる恐怖を体験したのでしょう。
百音ちゃんがようやく亀島に戻ってきたとき、未知ちゃんにも幼馴染たちにも百音ちゃんとの再会を喜ぶ気力などありませんでした。
それほど憔悴しきっていた様子から、震災当日に彼らが体験したことがどれほどのものだったのかが少しだけ見えてきました。
一方、亀島が壊滅状態だったことはモネちゃんにとってもショックでしたが、故郷の人たちが体験した恐怖をモネちゃんは体験していません。
故郷を失う恐怖を故郷の人たちと共有できなかった後ろめたさ。
しかも、故郷の人たちが恐怖と直面しているその直前まで自分は音楽を楽しんでいた。
そのことがモネちゃんが音楽から遠ざかってしまった原因のようです。
もう一度音楽をやらないかと言う耕治さんに対してモネちゃんはキッパリと言いました。
音楽など何の役にも立たないと。
あの頃からモネちゃんは島を離れたいという気持ちを抱き始めていたのかもしれません。
そして、そんな気持ちを抱きながら高校生活の三年を過ごしいたことが考えられます。
朝ドラでは、ヒロインの高校三年の一年間を第2週あたりで描くのが定番ですが、心に闇を抱いたヒロインの高校三年時代はさすがに描けませんね。
本作の最初の数週間が異例の構成になった理由がよくわかる回でした。
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おかえりモネのキーアイテム・象徴は、アルトサックスのようですね。そして、父・耕治の象徴は、トランペットのようですね。
震災発生時のライブもアルトサックスのソロ、百音の開けられない楽器ケースの中身もそうです。
闇を抱えた百音が、こころを開くとき、サックスの音が再びよみがえる、そして、幼馴染みとの演奏が期待できるように思います。
そして、それは、あるいは、東京に出て、そこでのライブか何かを切掛にそのときを迎え、それが切掛で島に戻る気持ちになるのかなと予測してみたりして、、
そして、百音のアルトサックスは、おそらく父(藤竜也)とのぶつかりあいから漁師になることが出来なかった耕治のトランペットと重なるように思います。学生の頃、ライブもしていた耕治がサラリーマンに徹していたのが、百音らの軽音楽部の指導にしゃしゃり出たことで、耕治の心の闇が解放されたんだろうかと思いますし、それが百音の心の闇の解放と重なるように思います。
そして、楽器に興味をもつのが耕治のトランペット、中学で軽音楽部を作る切掛になるのがトランペット、これからも、人生の転機には、トランペットが再登場するのかな???
訂正:軽音楽部→吹奏楽部
今週の最後、震災を経験したわけですが、予想通り、気仙沼の震災風景は、かなりソフトに描かれていましたね。
気仙沼の湾内面がきれいになるのに数ヶ月かかったことを考えると、綺麗すぎる海面でしたし、「今週のおかえりモネ」で触れたサンドイッチマンが震災の日に見た風景(安波山からの景色)は、いまの万倍かとは思うと泣けてきます。
ちなみに、当時だと、合否発表を確認して、仙台から気仙沼に車等で移動して、気仙沼大島に帰ってとなると、島の中学校での練習には間に合いません。おそらく、車でまっすぐ帰っても、震災の時は、気仙沼の街に着くか着かないかのタイミングになっていたでしょう。いまは、三陸自動車道が気仙沼まで通じていますから、昼頃には船乗り場に着けるようになりましたし、去年、架橋が出来て、午後からの練習も参加出来るでしょうが。ま、これも脚色と言うことで。
「音楽なんて、何の役にも立たない」
モネちゃん…、それは八つ当たりというものじゃないかしら?
まあ、気持ちは分かります、とっても良く。
寸前まで音楽を、特にサックスの演奏を楽しんでいた自分が、赦せないのね。
でも…ね。
このモネちゃんの音楽に対するアンビバレントな感情と、気象予報士への道と。
これらはいったい、どこでどう関係してくるのでしょう。
そしてどう解決されていくのでしょう。
まだまだ謎一杯の、『おかえりモネ』です。
みーちゃんの号泣にすべて持って行かれました。
この温度差がモネの闇につながったのかも。
未だに東日本大震災の傷を引き摺っているいる日本だから。百音がその苦悩をしょいながら生きているのは分かる気がします。それだけに、本物の地獄を体験した仲良しグループの力を借りてではあるけど朝焼けの海に出かけられたのは良かったです。後藤三生くんの明るいキャラクターの力でウミガメ?におかえりが言えたような気がしました。朝焼けはやはりエネルギーを感じますよね。
「その日いなかった」モネちゃんがいなかったのは島という物理的な場所ではなく、島の住民社会、人々が手を携え合うコミュニティの事を指していたんですね。共通の価値観が共有できない。辛い時を一緒に乗り越えたメンバーの中にはいない。これって、小さくて強固なコミュニティであればあるほど、疎外感が半端なものではありません。モネちゃん一家が仙台市内に住んでいたら、仮に震災当日東京に行っていたとしても、その疎外感は島暮らしのそれよりはずっと弱かったと思います。モネちゃんはそれ以後、物理的には島に住んでいても心が島民ではなくなってしまった、島民として背負うべきものから拒まれてしまった、そんな思いだったでしょう。誰もそんな事は思っていないにしても、島のコミュティにいる資格を失ってしまった。その思いからの「島を出たい」だったのでしょうね。誰に悪意もないだけに、みんな真面目で優しいだけに、ただ、悲しいです。
阪神淡路大震災の後、仲間の一人がボランティアとして現地に行ったのですが、その時に知り合ったボランティア仲間のことを少し語ってくれたことがありました。
それはスタジオジブリのスタッフさん達のことで、彼ら(彼女ら)は交代で現地に赴いていたそうです。
彼らが行っていたのはもっぱら子供たちのケアだったようですが、いろんな話をしながら彼らがトトロやさつきたちの絵を描くと、子供たちの顔がぱっと笑顔に変わるのだとか。
自分の仲間には、そういう彼らの力、技術がとても羨ましかったと・・・
生きた、生き残った後、生き続けるためには音楽など直接生きるための手段ではない諸々が人には必要なようです。
ちなみに、阪神淡路大震災への宮崎氏の思いが<煙突描きのリン>の構想となり、
「それでは興行的に無理!」
との鈴木Pの反対で後に<千と千尋の神隠し>に変わったとの話を読んだ記憶があるのですが、今<煙突描きのリン>を調べると、それとは違う話ばかり。
真相はいかに???
私魁光3号も2011年8月に大学の災害ボランティアとして1週間石巻市に滞在しました。
魚の加工工場の泥かきなど様々なことを体験させていただきましたが、移動中のバスで初めて目の前に広がった津波に飲まれた街を見た時の風景とバス内の凍りついた雰囲気は今でも忘れられません。
見渡す限りの根こそぎ持っていかれた街、瓦礫の山、打ち上げられた大型の船。
そこに人々の暮らしがあったのかと思うと言葉が出ませんでした。
数ヶ月後に行った私もそういう反応でした。
現地の方々はその比ではないでしょう。
安達先生の脚本はその部分もしっかり書き込まれており、とても好印象です。
そして震災の辛い経験だけで終わらせず、そこからまた前を向こうとして1週間を締める。
スッキリ爽やかに終わらせるのもとてもいいですね。
「オレ達は見てなかったけど、三生は見てただろうし・・・」
さらっと口にした、とても重いセリフでした。
チャラい登場をした三生でしたが、この一言で、物事をきちんと捉えよう考えようとする真面目な人物に変わりました。
そういうことを想像し合える理解しあえる仲間達って素敵ですね。
百音「違うよ・・・・・・お父さん・・・・・・・。」
音楽なんて何の役にも立たないという想いのままでモネちゃんは往くのか、それともまだ音楽をみなおす日がくるのか・・・・・・・・。
車で移動していたのか。ガソリンスタンドの自家発電装置がリアル。数日間の二人の不安、焦燥はいかばかりか。自衛隊のUH60ブラックホークヘリは借りたの?それとも演習映像からの引用?「音楽なんて何の役にも立たないよ。」この数日間に受けた精神的ダメージは、音楽の持つパワーを遥かに凌いでいたのか?それともモネにとって音楽とはその程度のものだったのか?三生の寺には地震当時多くの遺体、しかも知っている人達の遺体が運び込まれたはず。やりきれなかったろうな。朝日と海風が救い?
前々作「エール」では音楽が与える力をテーマとしましたが、今作ではそれを一度全否定する展開となりました。
ただ泣き喚くみーちゃんを見て、自分の無力感を痛感し、自然の力の前では何も出来なかった。音楽一つで何が出来るのだろう。と思ったことでしょう。
普通の人ならそこから少しずつ立ち直り、音楽でチャリティーをと色々考えますが、モネはとても心優しい子。
地元にいなかった。寄り添えなかったことがずっと引っかかり自分を悔いていたんですね。
モネの真のゴールは気象予報士になることではなく、島と音楽にまた向かい合うこと。
前作の一福くんもそうでしたが、「サックスのできる気象予報士」。最高じゃないですか!
そんな日がいつかきますように。