2021年5月21日(金)第1週「天気予報って未来がわかる?」
あらすじ
登米能の舞台の上演に参加したサヤカはある決断を下しました。その決断とは、それまで拒み続けていたヒバの木の伐採を受け入れることでした。ヒバの木が能舞台になって、いつまでも人の役に立ち続けることが出来ることにサヤカは気が付いたのです。
そんな中、百音の祖父・龍己がサヤカに電話しました。電話を通して聞こえてくる百音の明るい声を聞いた龍己がサヤカに打ち明けました。百音は明るい子だった。しかし高校に入ってからその明るさが失われてしまったのだと。
登米能の上演の翌日、朝岡の希望で百音たちは北上川を訪問。気象の変化が織りなす風景に百音は心を奪われました。その景色は、故郷の気仙沼の朝にも見られる景色でした。その景色を見た百音は東日本大震災の翌朝の光景を思い出しました。
朝岡の去り際、百音はスマホで撮影した虹色に輝く雲の画像を見せました。朝岡はその雲は彩雲と呼ばれるものだと百音に教えました。そして朝岡が示した時間と方向に彩雲が現れたことに感激した百音は、そこに自分の進む道のヒントを見出すのでした。
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第11週
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予習レビュー
ヒバの木の伐採を拒んでいたサヤカさんが、伐採を受け入れます。
ダラダラと生き続けるよりも、スッパリと伐られてその後ずっと人の役に立った方がヒバの木も喜ぶだろう。
そのように考え方を改めるのだとか。
このサヤカさんの決断。
今のモネちゃんにはまだ響かないかもしれません。
そもそもモネちゃんは人の役に立つ道すら見出せていないのだから。
でも、この時のサヤカさんの決断が、後々になって重大な決断を迫られたモネちゃんの人生の選択の瞬間に回収されるような気がします。
気象キャスターの朝岡さんとの出会い。
サヤカさんの決断。
モネちゃんの将来へのフラグで満ち溢れていた第1週はこれでおしまいです。
感想
朝ドラの第1週の役割
『おかえりモネ』最初の一週間が終わりました。
前々作『エール』以前の朝ドラの第1週は、ヒロインの生まれ故郷への愛情を視聴者に刷り込む役割を持っていました。
しかし前作『おちょやん』では、第1週で生まれ故郷や生家の描写は通常通り行われたものの、その内容はヒロインが生まれ故郷との訣別を表現するものでした。
そして本作『おかえりモネ』は、そもそもで生まれ故郷や生家の描写は回想によって伝えられる程度。
しかもその回想で最も印象に残っているのは「この島を離れたい」と宣言する場面でした。
モネちゃんは千代ちゃん同様に故郷に戻りたくないの?
そんな心配を抱いてしまうような描写が続きましたが、第1週の最後の回でモネちゃんは決して故郷が嫌いなわけではないことが明らかになりました。
モネちゃんの心の中の霧が晴れるまでのストーリー
霧に包まれる北上川の早朝の風景は気仙沼の海の早朝の風景と通じるものがありました。
北上川の幻想的な風景を見たモネちゃんは思い出したに違いありません。
幼い頃から繰り返し見たであろう気仙沼の海の早朝の風景を。
しかし、北上川の風景を見てよみがえったモネちゃんのその記憶はある記憶によって一瞬にして上書きされてしまいました。
朝日を浴びながら何かを見つける人々とモネちゃん。
人々そしてモネちゃんの目の前には美しい朝日が輝いているはずなのに、人々もモネちゃんも涙を流している。
そしてサイレンが鳴り響く音。
この場面にモネちゃんの「過去」のすべてが集約されていたような気がします。
朝岡さんの言葉を借りるなら、モネちゃんの故郷の思い出には霧がかかってしまっている状態なのでしょう。
しかし朝岡さんの言う通り霧はいつか晴れます。
モネちゃんの心の中の霧が晴れるまでのストーリーが始まりました。
追伸
相変わらずちょうだいしたコメントに返答ができず申し訳ありません。
ブログの更新がやっとの状態が今なお続いています。
コメントは目を通しています。
引き続き『おかえりモネ』を一緒に楽しんでいただければ幸いです。
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一週間の総集編、まとめて見ると、現代劇としては、しっかり中身が詰まっている事が解ります。ナビゲーターのサンドイッチマンさんには、もう少しお話して欲しかったです。
モネちゃんがときどきする暗い表情が気になりますね
たぶん3.11のあの日のことだと思うのです
「どうせ(地震の起きた場所に)いなかった」「私、あの日何もできなかった」とは何を意味するのか
過去描写を見る限りでは高台から津波の様子を見ていたようにも思えたのですが
それなら「いなかった」わけではないと思うのですが・・・
たぶんそのせいの何かで島を離れたくなったのだと思うのですが何があったんでしょうかね
家族は全員生きてるみたいですし
私の推察は、
「島にはいなかった」百音が、気仙沼湾の惨状を見たとき、心に闇を抱えざるを得なかったということです。
百音の「いなかった」は、「島にいなかった」「島に戻れなかった」であるとおもいます。
あるいは、戻ってきて気仙沼湾の惨状をみてのなみだかもしれません。
いずれにしても、それの経緯はこれから明らかになるかと思います。
気仙沼には、震災前から子どもたちが構成するジャズバンドがあり、仙台市の定禅寺ジャズフェスティバルなどで演奏をして好評を博していました。
「気仙沼ジュニアジャズオーケストラ THE SWING DOLPHINS」で、1993年(平成5年)の設立で、小学生から高校生で構成されています。(今の会則では、小学校4年生から高校2年生です)
震災後は、2013年に、TOMODACHIイニシアチブと国際交流基金の支援を受け、ニューオーリンズを訪問して演奏をし、好評を博しています。
百音がジャズバンドに参加していたとすると、活動(合同練習)は、気仙沼市内ですから、百音が亀島(モデルは気仙沼大島)に住んでいても、地震の時、連絡船で、ジャズバンドの練習で島から市内に渡っていたような設定はありうるかと思います。
気仙沼と気仙沼大島の位置関係は、尾道と因島のような位置関係になりますから、すぐ行き来できるものの、荒れると行き来が出来ない距離感にあります。とくに気仙沼大島と本土の架橋は2019年4月まで待たなければなりません。
震災での気仙沼湾の惨状はひどく、津波が重油タンクや建物を次々と破壊し、港を大量のがれきと真っ黒な油で埋め尽くし、そして大規模な「津波火災」が発生しました。その様子の一端は、NHKアーカイブスで見ることが出来ます
https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/fa/se1/fourth.html
これらをストレートに再現することは、まだまだ耐えられない人が宮城県などには多く居ると思いますので、今回の画で、婉曲的に表現されるのでしょう。
この1週間、梅雨空で外は連日どんよりグレー色。ドラマには青空、虹、雲、木々の緑、川や海など沢山の自然が写し出されて、それだけで癒された気分になります。
ドラマの内容もこれから楽しみですが、映像が綺麗で私も周りの景色や空を見たいという気持ちが膨らみました。週末おひさまが出たら、お散歩に出かけて空を見上げたいです。
来週の伏線が張られました。何で朝岡さんの連絡先を知っているんだろうかと思ったら、
ここで、電話番号だけが入った名刺をもらっていたんですね。
心に闇を抱えたモネ。明るい顔と暗い顔の切り替えで越えられない闇を表現。
ほぼリアルなままの年齢で半年送らせたいというスタッフの意思が感じられます。
10年前、
東日本大震災の時、
まだ小学生だったモネちゃんに、
何かがあったんでせうなあ。
( ̄▽ ̄;) ( ̄~ ̄;) ( ̄□ ̄;)!!
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
最後、朝岡さんは、モネのとってのガンダルフになりそうですね。
大切な故郷が壊れたことが、思春期の女の子の心に大きな大きな傷を残したんですね。
新しい場所で、傷が癒えるといいな。
それにしても夏木マリさんはいい役者さんだなぁ。
元々は妖艶な歌手だったのに(笑)
能の時のサヤカさんの髪色が違ってたのは何故なんだろうと思ってたら、スプレー毛染めだったんですね、納得。(あさイチ情報)
「あの世から見届けてやる。」そう言えば夏木マリさん「カーネーション」では死んでからもナレーションをしていました。さすが湯婆婆。「この島から離れたい。」どうしても「あまちゃん」を思い出す。やっぱり、3.11が彼女の性格に暗い影を。「暗い霧はいつか晴れます。」何よりの励まし、ただ彼女にこの朝岡さんの言葉がどれだけ響くのか?
何も出来なかった。そんな自分は一体何者か。
霧の中でもがき苦しみ、先に見えた活路。
それは10分先を未来を当てる気象予報の世界。
10分あれば助かっていた命。
この世に数え切れないほどあったでしょう。
そして耕治父さんに連絡をよこさなかった伏線も回収されました。
「私はここにいます」
自分が何のためにここにいるのか。
存在意義を見出し始め、目覚めを示唆していますね。
まず1週を見終えて、奇を衒わず正統派の優しいドラマに仕上がっていることに好感を覚えています。
まるでみんながほっとする日本の朝ご飯のようですね。
サヤカ「切るか・・・・・・あの木・・・・・・・・・。」
切られても痛みを感じることのない樹木にとって、どんな生かされかたが良いのかな。
仮面ライダーオーズに出演なされていた時の三浦涼介さんと今回の朝ドラでの夏木マリさんはよく似ています、ともに金髪で似たような髪形なのですが、顔つきもよく似ています。「実は親子だ」とドラマ内で言われても何の違和感もないと個人的な感想。